正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案手その十四

 口では偉そうなことを言う、素晴らしい理論を展開する、だけど、実際にやらせてみると全然駄目なんて人、多いですよね。能書き垂れてる暇があればちゃんとやれよ!と言いたい奴はゴロゴロいる。頭の中でどんなに素晴らしいこと考えても、現実の世界で何もできないんじゃ、どうしようもない。
 人間の価値は、今この瞬間何をするか、その行動にしかない。行動で決まる。
 だから行動しなけりゃ始まらない。だいたい、この世の中に生きるということは、瞬間瞬間の行動の積み重ねでしかない。そして瞬間には能書き垂れてる暇はない。「そのうちやります」なんて暇はないのだ。
 岩波文庫58ページ「水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬(ぎ)する鳥魚あらんは、水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべかず。」 
 魚が「水とはどういうものか完全に理解してから泳ぎましょう」なんていうことはない。鳥が「空とはどのようなものか完全に見極めてから飛びましょう」なんて言っていたら、永遠に飛べない。
 何かするときに、重要な仕事に取り組むときに事前に調査、研究するのは当たり前。しかし、前回書いたとおり、全てが完全に分かる訳ではない。調査、研究した範囲でしか分からない。その中で決断し、実行しなければならない。「案ずるより産むが易し」という言葉もある。行動するしかないのだ。
 59ページ「このところをうれば、この行李(あんり)したがひて現成公案す。このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり」行李とは行履とも書くが、行動のこと。
 よしやろう!ということで実際に行動すれば、その行動によって大宇宙そのものが現れてくる。大宇宙の真理が現れてくる。
 知識を詰め込んだだけ、頭の中で理屈をこねくり回していているだけでは、大宇宙の真理は現れない。
 毎日毎日、瞬間瞬間に行動していることが大宇宙の真理を出現させる、大宇宙の真理の中にいることなのだ。