2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その九十五

岩波文庫99ページ「迦那提婆尊者、ちなみに龍樹尊者の身現をさして衆会(しゅえ)につげていはく、「此是尊者、現仏性相、以示我等。何以知之。蓋以無相三昧形如満月。仏性之義、廓然虚明(此れは是れ尊者、仏性の相を現じて、以って我等に示すなり。何を以…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その九十四

岩波文庫99ページ「仏弟子はひとすぢに、提婆の所伝にあらざらんは、龍樹の道(どう)にあらざると知るべきなり。これ正信得及(しょうしんとくぎゅう)なり。しかあるに、偽なりとしりながら稟受(ひんじゅ)するものおほかり。謗大般若(ぼうだいはんにゃ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その九十三

岩波文庫98、99ページ「しかあるに、僭偽(せんぎ)の邪群ままに自称すらく、「われらも龍樹大士の法嗣(ほっす)なり」。論をつくり義をあつむる、おほく龍樹の手をかれり、龍樹の造(ぞう)にあらず。むかしすてられし群徒の、人伝(にんでん)を惑乱する…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その九十一

岩波文庫98ページ「入室瀉缾(にっしつしゃびょう)の衆(しゅ)たとひおほしといへども、提婆と斉肩(せいけん)ならざるべし。提婆は半座の尊なり、衆会(しゅえ)の導師なり、全座の分座なり。正法眼蔵無上大法(しょうぼうげんぞうむじょうだいほう)を…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その九十

岩波文庫98ページ「尊者の嫡嗣迦那提婆尊者(ちゃくしかなだいばそんじゃ)、あきらかに満月相(まんがっそう)を「識此(しきし)」し、円月相を識此し、身現を識此し、諸仏性を識此し、諸仏体を識此せり」 識此とは、西嶋氏によると「具体的に知る」という…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その九十ニ

岩波文庫98ページ「龍樹未廻心(みういしん)のさき、外道の法にありしときの弟子おほかりしかども、みな謝遣(しゃけん)しきたれり。龍樹すでに仏祖となれりしときは、ひとり提婆を附法の正嫡(しょうちゃく)として、大法眼蔵(だいほうげんぞう)を正伝…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十九

岩波文庫98ページ「即隠(そくおん)、即現(そくげん)は、輪相(りんそう)の進歩退歩なり。「複於座上現自在身(ぶおざじょうげんじざいしん)」の正当恁麼時(しょうとういんもじ)は、「一切衆会、唯聞法音(いっさいしゅえ、ゆいもんほうおん)」する…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十八

岩波文庫97ページ「これ説法蘊(せっぽううん)なり、それ「無其形(むごぎょう)なり。」無其形さらに「無相三昧(むそうざんまい)」なるとき、「身現」なり。一衆(いっしゅ)いま円月相を望見(もうけん)すといへども、「目処未見(もくしょみけん)」…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十七

岩波文庫「いはんや「用辯(ようべん)も「声色(しょうしき)」にあらず、「身現(しんげん)」も色心(しきしん)にあらず、蘊処界(うんじょかい)にあらず。蘊処界に一似(いちじ)なりといへども「以表」なり、「諸仏体」なり」 現実の色々な動きも、感…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十六

岩波文庫97ページ「「以表」するがゆゑに諸仏体を透脱(とうとつ)す。しかあるがゆゑに、仏辺(ぶっぺん)にかゝはれず。仏性の「満月」を「形如(ぎょうにょ)」する「虚明(こめい)」ありとも、「円月相」を排列(はいれつ)するにあらず」」 (諸仏体、…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十四

岩波文庫97ページ「この身、円月相現(えんがっそうげん)なり。身現は方円(ほうえん)にあらず、有無(うむ)にあらず、隠顕(おんけん)にあらず、八万四千蘊(うん)にあらず、たゞ身現なり」 この我々の身体は、坐禅している身体は、何も欠けたところの…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十三

岩波文庫96、97ページ「いづれのところのいづれのときか、非身の他現ならん。まさにしるべし、このとき尊者は高座せるのみなり。身現の儀は、いまのたれ人も坐せるがごとくありしなり」 どんな状況でもどんな時でも、自分自身の体以外現すことがあろうか(自…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十五

岩波文庫97ページ「円月相といふ、這裏是甚所在、説細説麤月(しゃりししもしょざい、せっさいせつそげつ。這裏是れなにの所在ぞ、細と説き、麤と説く月)なり。この身現は先須除我慢(せんしゅじよがまん)なるがゆゑに、龍樹にあらず、諸仏体なり」 円月相…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十二

岩波文庫96ページ「身(しん)と現(げん)とに転疎(てんそ)なるは、円月相にくらきのみにあらず、諸仏体にあらざるなり。愚者おもはく、尊者かりに化身(けしん)を現ぜるを円月相といふとおもふは、仏道を相承(そうじょう)せざる儻類(とうるい)の邪…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十一

岩波文庫96ページ「しばらく尊者の道著(どうじゃ)する偈(げ)を聞取(もんしゅ)すべし、いはゆる「身現円月相(しんげんえんがっそう)、以表諸仏体(いひょうしょぶったい)」なり。すでに「諸仏体」を「以表」しきたれる「身現」なるがゆゑに「円月相…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十九

岩波文庫95、96ページ「「仏性非大非小」等の道取、よのつねの凡夫二乗に例諸(れいしょ)することなかれ。偏枯(へんこ)に仏性は広大ならんとのみおもへる、邪念をたくはへきたるなり。」 龍樹尊者は「仏性非大非小」等とおっしゃったが、これを一般的な人…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十八

岩波文庫95ページ「(「汝欲見仏性、先須徐我慢」の解説の続き)」「我(が)もひとつにあらず、「慢」も多般なり、除法また万差(ばんしゃ)なるべし。しかあれども、これらみな見仏性なり。眼見目覩(げんけんもくと)にならふべし」 「我」といっても、そ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八十

岩波文庫96ページ「大にあらず小にあらざらん正当恁麼時(しょうとういんもじ)の道取に罣礙(けいげ)せられん道理、いま聴取(ちんしゅ)するがごとく思量なる聴取を使得(すて)するがゆゑに」 仏性が大でも小でもない、まさにその時の言葉によって言い表…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十七

岩波文庫95ページ「「汝欲見仏性、先須除我慢(にょよくけんぶっしょう、せんしゅじょがまん)」。この為説の宗旨(そうし)、すごさず辦肯(はんけん)すべし。「見」はなきにあらず、その「見」これ「徐我慢なり」 仏性を理解したい、身に現したいと思うな…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十五

岩波文庫92ページ「もろもろの二乗の小見および経論師(きょうろんじ)の三蔵等は、この六祖の道(どう)を驚疑怖畏(きょうぎふい)すべし。もし驚疑せんことは、魔外(まげ)の類なり」 頭の中であれこれ考えたり、感覚によって仏教を学ぼうとする狭い見方…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十六

岩波文庫92、93ページは西天(インド)の第十四祖龍樹(りゅうじゅ)尊者についての話。龍樹尊者と弟子たちとのやりとりが書いてある。引用すると長くなるので、道元禅師が解説されている95ページのところから始めることにする。 「しるべし、真箇(しんこ)…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十四

岩波文庫92ページ「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)これ仏性なるがゆゑに無常なり。大般涅槃(だいはつねはん)これ無常なるがゆゑに仏性なり」 阿耨多羅三藐三菩提は、無上正等正覚とか言われたりするらしいけど、西嶋氏は「最高で均…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十三

岩波文庫91、92ページ「しかあれば、草木叢林(そうもくそうりん)の無常なる、すなはち仏性なり。人物身心(にんもつしんじん)の無常なる、これ仏性なり。国土山河(こくどせんが)の無常なる、これ仏性なるによりてなり」 (常者未転などと観念論を振り回…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十二

岩波文庫91ページ「常者未転(じょうはみてん)なり。未転といふは、たとひ能断(のうだん)と変ずとも、たとひ所断(しょだん)と化(け)すれども、かならずしも去来(こらい)の蹤跡(しょうせき)にかかはれず、ゆゑに常なり」 常を変化しないと考える人…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十一

岩波文庫91ページ「常凡聖ならんは仏性なるべからず。小量の愚見なるべし。測度(しきたく)の管見(かんけん)なるべし。仏者小量身也(ぶっしゃしょうりょうしんや)、性者小量作也(しょうしゃしょうりょうさや)。このゆゑに六祖道取す、「無常者仏性也…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七十

岩波文庫91ページ「今以現自身得度者(こんいげんじしんとくどしゃ)、即現自身而為説法(そくげんじしんにいせっぽう)なり。これ仏性なり。さらに或現長法身(わくげんちょうほっしん)、或現短法身(わくげんたんほっしん)なるべし。常聖(じょうしょう…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十九

岩波文庫91ページ「しかあれば、無常のみづから無常を説著(せつぢゃ)、行著(ぎょうぢゃ)、証著(しょうぢゃ)せんは、みな無常なるべし」 無常=仏性=悉有=一切衆生なのだから、無常つまり常に変化している現実そのものが、現実は常に変化していると説き…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十八

岩波文庫90、91ページ「六祖示門人行昌云、「無常者即仏性也、有常者即善悪一切諸法分別心也」いはゆる六祖道の無常は、外道二乗等の測度(しきたく)にあらず。二乗外道の鼻祖鼻末(びそびまつ)、それ無常なりといふとも、かれら窮尽(ぐうじん)すべから…