正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その九十四

 岩波文庫99ページ「仏弟子はひとすぢに、提婆の所伝にあらざらんは、龍樹の道(どう)にあらざると知るべきなり。これ正信得及(しょうしんとくぎゅう)なり。しかあるに、偽なりとしりながら稟受(ひんじゅ)するものおほかり。謗大般若(ぼうだいはんにゃ)の衆生の愚蒙(ぐもう)、あはれみかなしむべし」
 釈尊の弟子である者は、ただひたすら迦那提婆尊者が伝えていることでないならば、龍樹尊者がおっしゃったことではないと知らなければならない。このように正しく信ずることが真理を得ることになるのである。そうであるのに、偽物(正当ではない)と知りながら、それを引き継ぎ受け入れる者たちが多い。偉大な智恵を謗るような人々の愚かさは、あはれみ、悲しまねばならないことである。
 仏教は、本当にたくさんの宗派がある。怪しげなものも一杯ある。道元禅師は、ご自分が伝えられたものが唯一正当な仏教だとされている。
 日本人は、どれが正当かという突き詰めた議論は避けてきているように感じる。政治にしたって、揚げ足を取るみたいな議論ばかりだ。まっとうな議論をしているのを私が知らないだけかも知れないが。
 島国でみんなで仲良く、という国民なんだろう。しかし、いつかは決着を着けなければならないだろうし、さらに、世界的にも人間を地球を救えるものは何か決着させなければいけないだろう。気が遠くなるような時間がかかるだろうけど、最後には正しいものしか残らない。これは間違いない。
 「偽なりとしりながら」というところは、そんなに珍しいことだとは思っていない。組織の中で、トップや地位の高い人間の言うことには、疑問を持ったとしても従うなんて、たくさんみてきたし、今も見ている。
 「偽」と分かっていても、それを理屈で取り繕ってやりくりすることはできる。しかし、「偽」は偽でしかない。いつか必ず、その結果を背負うことになる。
 コロナにしても、取り繕ったことは言わなくていいから、どの程度の犠牲は避けられないのか、今後の日本という国が成り立つためには、どこがデッドラインなのか、私個人としては、はっきり知りたい。公表するとパニックになるリスクがあると思っているんだろうけど。
 今は感染拡大を抑制しようとしているだけなんですよね。治療法は確立されていないし、そうはいっても経済を回さなきゃ人を救うことができなくなる。どの程度の死者は仕方がないとか、そこら辺は、冷徹でいいから教えてもらいたいと個人的には思う。犠牲者ゼロなんてあり得ないことを言われたら困る。
 裏付けのない、実行不可能な救済策を言い散らすのはやめてもらいたい。事実を教えてもらいたい。一定程度は死ぬ前提で対策を決めざるを得ないとしか思えないのに、何とかなるみたいな、まやかしはやめてもらいたい。
 そして無常だから、新しい局面は必ず来る。その局面が少しでもよいものになるには、国も自治体も個人一人一人も、行動を積み重ねていくしかない。そう思っている。