2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十七

岩波文庫90ページ「六祖の道取する「人有南北、仏性無南北」の道、しづかに拈放(ねんぽう)すべし。おろかなるやからおもはくは、人間には質礙(ぜつげ)すれば南北あれども、仏性は虚融(こゆう)にして南北の論におよばずと、六祖は道取せりけるかと推度…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十六

岩波文庫89、90ページ「しかあれば、緒無の無は、無仏性の無に学すべし。六祖の道取する「人有南北、仏性無南北」の道(どう)、ひさしく再三撈摝(ろうろく)すべし、まさに撈波子(ろうぼす)に力量あるべきなり」 であるから、色々な「無」というものが仏…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十五

岩波文庫89ページ「いまのひとも、仏性ときゝぬれば、「いかなるかこれ仏性」と問取せず、仏性の有無等の義をいふがごとし、これ倉卒(そうそつ)なり。」 今の人たちも、仏性と聞いたときに「仏性とは何か」とは問わず、仏性が有るとか無いとか言っているが…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十四

岩波文庫89ページ「このとき、六祖その人ならば、この無仏性の語を功夫すべきなり。「有無の無はしばらくおく、いかならんかこれ仏性」と問取すべし、「なにものかこれ仏性」とたづぬべし」 六祖大鑑慧能禅師が仏道を得ている人、真実を体得している人ならば…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十三

岩波文庫89ページ「悉有の有(う)、なんぞ無々の無に嗣法(しほう)せざらん。しかあれば、無仏性の語、はるかに四祖五祖の室よりきこゆるなり」 悉有といったときの有は、絶対的な無(無々の無)と同じことである。(嗣法というのは法を継承するということ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十二

岩波文庫89ページ「四祖五祖の道取する無仏性の道得(どうて)、はるかに罣礙(けいげ)の力量ある一隅をうけて、迦葉仏(かしょうぶつ)および釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)等の諸仏は、作仏し転法(てんぽう)するに、「悉有仏性」と道取する力量あるなり…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十一

岩波文庫89ページ「六祖道得(どうて)の句に宗旨(そうし)あり。いはゆる人は作仏すとも、仏性は作仏すべからずといふ一隅のの搆得(こうて)あり。六祖これをしるやいなや」 六祖の言葉に重要なことがある。それは、人は仏になろうとするけれど、仏性=言…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六十

岩波文庫88、89ページ「六祖いはく、「人有南北(にんうなんぼく)なりとも、仏性無南北(ぶっしょうむなんぼく)なり」。この道取(どうしゅ)を拳(こ)して句裏(くり)を功夫(くふう)すべし。南北の言(ごん)、まさに赤心(せきしん、しゃくしん)に…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十九

岩波文庫88ページ「しるべし、無仏性の道取聞取(どうしゅもんしゅ)、これ作仏の直道(じきどう)なりといふことを。しかあれば、無仏性の正当恁麼時(しょうとういんもじ)すなはち作仏なり。無仏性いまだ見聞せず、道取せざるは、いまだ作仏せざるなり」 …

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十八

岩波文庫88ページ「六祖もはら作仏をもとむるに、五祖よく六祖を作仏せしむるに、他の道取なし、善巧(ぜんぎょう)なし。たゞ「嶺南人、無仏性」といふ」 六祖が仏に成ることをひたすら求めたのに対し、五祖先が六祖を仏とならせるのに、行ったことは、ただ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十七

岩波文庫88ページ「或従知識、或従経巻(わくじゅうちしき、わくじゅうきょうがん)するに、きくことのよろこぶべきは衆生無仏性なり。一切衆生無仏性を見聞覚知に参飽(さんぽう)せざるものは、仏性いまだ見聞覚知せざるなり」 指導者に従って、あるいは経…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十六

岩波文庫88ページ「このゆゑに、五祖は向他道(こうたどう)するに、「嶺南人、無仏性」と為道(いどう)するなり。見仏聞法(けんぶつもんぽう)の最初に、難得難聞(なんてなんもん)なるは「衆生無仏性」なり」 このようなことから、五祖は、他の人のため…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十五

岩波文庫87、88ページ「成仏以来に具足(ぐそく)する法なりと参学する正的(しょうてき)なり。かくのごとく学せざるは仏法にあらざるべし。かくのごとく学せずは、仏法あへて今日にいたるべからず。もしこの道理あきらめざるには、成仏をあきらめず、見聞…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十四

岩波文庫87ページ「仏性かならず成仏と同参(どうさん)するなり。この道理、よくよく参究功夫(さんきゅうくふう)すべし。三二十年も功夫参学すべし。十聖三賢(じっしょうさんげん)のあきらむるところにあらず。衆生有仏性(しゅじょううぶっしょう)、…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十三

岩波文庫87ページ「おほよそ仏性の道理、あきらむる先達(せんだち)すくなし。緒阿笈摩経(しょあぎゅうまきょう)および経論師(きょうろんじ)のしるべきにあらず。仏祖の児孫(じそん)のみ単伝(たんでん)するなり。仏性の道理は、仏性は成仏(じょう…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十二

岩波文庫86、87ページは、五祖大満弘忍(だいまんこうにん)禅師と六祖大鑑慧能(だいかんえのう)禅師との対話が取り上げられている。 六祖が五祖のところに参じた時に、六祖が「自分は嶺南人であり、作仏(さぶつ)を求めている」としたのに対し、五祖は「…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十一

岩波文庫86ページ「空是空(くうぜくう)の空なるべし。空是空の空といふは、空裏一片石(くうりいっぺんせき)なり。しかあればすなはち、仏性無と仏性空と仏性有と、四祖五祖、問取道取」 「空」ありのままの現実の絶対的事実、は言葉では言い表せないので…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十

岩波文庫86ページ「いはゆるの空は、色即是空の空にあらず。色即是空といふは、色(しき)を強為(こうい)して空とするにあらず、空(くう)をわかちて色(しき)を作家(そか)せるにあらず」 ここでいう「空」は般若心経の「色即是空」の空ではない。色(…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四十九

岩波文庫85、86ページ「空なるゆゑに空といはず、無なるゆゑに無といはず、仏性空なるゆゑに無といふ。しかあれば、無の片々(へんぺん)は空を道取する標榜なり、空は無を道取する力量なり」 空つまりありのままの存在であるというのは、単純に言葉で「空」…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四十八

岩波文庫85ページ「五祖いはく、「仏性空故、所以言無(ぶっしょうくうこ、しょいごんむ)」あきらかに道取す、空は無にあらず。仏性空を道取するに、半斤(はんきん)といはず、八両といはず、無と言取するなり。」 五祖は「仏性空故、所以言無」と言われた…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四十七

岩波文庫85ページ「無仏性たどりぬべしといへども、何(か)なる標準あり、汝(にょ)なる時節あり、是(ぜ)なる投機あり、周なる同生(どうしょう)あり、直趣(じきしゅ)なり」 無仏性について「たどりぬべしといへども」、ここは水野氏は「戸惑うに違い…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四十六

岩波文庫85ページ「しかあればすなはち、無仏性の道、はるかに四祖の祖室よりきこゆるものなり。黄梅(おうばい)に見聞(けんもん)し、趙州(じょうしゅう)に流通(るづう)し、大潙(だいい)に挙揚(こよう)す。無仏性の道、かならず精進すべし、赼趄…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四十五

岩波文庫85ページ「仏性成仏のとき無仏性なるか、仏性発心のとき無仏性なるかと問取(もんしゅ)すべし、道取(どうしゅ)すべし。露柱(ろしゅ)をしても問取せしむべし、仏性をしても問取せしむべし」 仏性が現実に現れているときを無仏性というのか、仏性…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四十四

岩波文庫84、85ページ「七通を逼塞(ひっそく)することなかれ、八達を摸サク(ぼさく サクは手偏に検索の索)することなかれ。無仏性は一時の三昧なりと修習しゅじゅう)することもあり。」 そもそも仏性=悉有、世界のすべての存在は制限されることなく、色…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四十三

岩波文庫84ページ「四祖いはく、「汝無仏性」。いはゆる道取は、汝はたれにあらず、汝に一任すれども、無仏性なりと開演するなり。しるべし、学すべし、いまはいかなる時節にして無仏性なるぞ。仏頭(ぶっちょう)にして無仏性なるか、仏向上にして無仏性な…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四十ニ

岩波文庫84ページ「しかあればすなはち是(ぜ)は何(か)なり、仏(ぶつ)なりといへども、脱落しきたり、透脱(とうとつ)しきたるに、かならず姓(しょう)なり。その姓すなはち周(しゅう)なり。しかあれども、父にうけず祖にうけず、母氏(もし)に相…