正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五十一

 岩波文庫86ページ「空是空(くうぜくう)の空なるべし。空是空の空といふは、空裏一片石(くうりいっぺんせき)なり。しかあればすなはち、仏性無と仏性空と仏性有と、四祖五祖、問取道取」
 「空」ありのままの現実の絶対的事実、は言葉では言い表せないので、空としか言い様がない。だから空というしかない。空はありのままの絶対的事実なのだから、何もないということではなく、現実の世界の中に一つの石ころがあるというような具体的なものである。観念論や抽象論で扱うものではない。以上これまで書かれていたことを踏まえて、四祖と五祖の間で仏性無、仏性空、仏性有という問答が行われたのだ。
 コロナウイルスを巡って色んな人が色々言ってますなあ。しかし、未知のウイルスなのだから、どうすると言ったって、今現在決め手はないだろう。時々刻々変化する現実に対して、政府は後追いとか、遅いとか、他にやるべきことがあるとか、様々言われても、その政府のやれる能力の範囲でやるしかないだろう。
 完全に鎖国したら、経済は成り立つはずがない。「暮らしていけない!殺す気か!」という声があがるだろう。
 人の動きを制限すると言ったって、限界がある。熱があるのにジムに行ったりカラオケ行っちゃったりする。陽性と言われてもパブに行ったりする奴までいる。どうやったって限界はある。為政者は、ある人々から「人殺し」と罵られても、国なり世界なりのために決断しなければならない。
 批判者はいなければいけない。それを抑圧したらお終いだ。しかし、批判を受けることのない安全な立場で、言うだけ言っている人は、おめでたい人だと思う。でも、そういう人もいるのが、普通の世の中なんだよね。普通じゃなくなったら困るから、そういう人がいるのも仕方がない。
 人間は必ず死ぬ。だから、今この瞬間瞬間を必死に生きるしかない。何のために生きるか?私は大宇宙の真理に従って生きていきたい。それができれば、他に望むものはない。コロナウイルスに感染しないために生きているのではない。感染しないように注意はするが、未知のウイルスなのだから、どうなるかわからん。わからんものにおろおろしても仕方がない。
 坐禅して、瞬間瞬間生きていく以外に何もない。