正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 辦道話そのニ十一

 辦道話は1231年道元禅師が宋の国から帰国してから4年後に書かれたものだそうだ。道元禅師31歳。31歳でこのようなものが書けるというのは物凄いことだと思う。また、既成の仏教教団を痛烈に批判もしている。すごい意思だと思う。道元禅師にとって真の仏教を伝えるためには既成教団との対立は不可避であり、そのために生じる事態も当然見通しておられたと思う。
 1243年に越前の地頭であった波多野義重に招かれ永平寺を開くことになる。京都では比叡山等の圧力があったという。
 改めて凄い人だと思う。
 さて、辦道話については今回で終りにしたいと思う。
 正法眼蔵岩波文庫では七十五巻本を基準にしており、辦道話以外に七十五巻ある。なので先は長い、遺書にするつもりと書いたが、途中では終わりたくない。主なことは書けたと思うので、次に進みたい。
 以前にも書いたが、逐語約する能力も時間もない。全文解説する能力も時間もない。全巻お読みになりたい方は、現代語約の本や解説本がいくつか出ているので、それらを読んでみてください。
 ただ、ご注意しておきたいことがある。
 まず、坐禅せずに正法眼蔵を読んでも分からないということ。澤木氏、西嶋氏もそう言っている。私もそのとおりだと思う。坐禅した身心で読まない限り、体得できない。坐禅せずに読んで分かったように思ってもそれは理屈の世界の中のこと頭の中でのことで、大宇宙の真理には全く届かない。それは体得するしかない。道元禅師は、いかに坐禅が重要か、坐禅するとはどういうことか、それは言葉では言い表すのは極めて困難だが言葉で伝えなければ世の中の人々を救えないという思いで、苦心惨憺して、必死に正法眼蔵をお書きになったと思っている。澤木氏か西嶋氏かどちらの言葉か忘れてしまったが「正法眼蔵坐禅の中身をお書きになったものだ」としていて、私も賛成である。正法眼蔵哲学書ではない。布教のために書かれたものである。頭でこね繰り回すものではない。
 もう1つ。確かに正法眼蔵は難しいとは思う。問題なのは難しいことをいいことに、好き勝手なことを書く人達がいること。耳障りの良い字句を書き連ねていい気分にさせるけど、全く正法眼蔵を理解していない著者がいる。さらにひどいのは、自分の理論を展開するために正法眼蔵を利用している奴までいる。警戒してください。
 最後に、正法眼蔵の原文をやはり読む必要があるということ。私は30年かかってやっと少し分かったように思うが、原文の力はすごい。道元禅師が言葉を選び、どのような文章にしたら良いか、それこそ心血を注ぎ、命をかけてお書きになったものである。その力はすごい。現代語約、解説は理解の手掛かりとして重要だが、それは原文を読むためのツールにすぎない。
 次回から、現成公案(げんじょうこうあん)の巻に進むことにする。