正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十七

 岩波文庫76ページ「仏之与性、達彼達此(ぶっしよしょう、たっぴたっし)なり。仏性かならず悉有なり、悉有は仏性なるがゆゑに」
 仏を理解することは性を理解すること、仏性を仏と性に分けられない。仏性はすべての存在であり、すべての存在は仏性である。
 「仏性」というと、何か神秘的なものとしてとらえがちだが、道元禅師は繰り返し、そうではない、この世のあらゆる存在、実在そのものが仏性であると説かれている。
 私が坐禅正法眼蔵にすがって何とか生きていられると思うのは、仏教を地に足が着いた、現実に依ってたっていると、坐禅正法眼蔵が教えてくれるからだ。
 現実の瞬間瞬間に向き合わなければならない。当たり前だが、本当に目の前の現実がちゃんと見えているだろうか?どうも怪しい人の方が多い気がする。
 観念論、理想論を振り回し過ぎではないかと感じる。理想を掲げるのは大事だ。けれど、理想を実現するには、目の前の現実、複雑怪奇、魑魅魍魎が跋扈する、綺麗事ではすまない、この現実と向かい合って、対処していかなければならない。勿論、現実は美しい、素晴らしい面もたくさんある。良い面も悪い面も入り交じっている、あるいは、ある立場の人にとっては良い面でも、別の立場の人にとっては悪い面だったりして、本当に複雑。
 IRでお金を貰ったとか騒いでいる。そりゃ、金になると思えば、色んな輩がうようよ出てきて、ありとあらゆることをするに決まっている。それを、上手く捌けない政治家は力量がないということなんでしょうね。
 私は賭け事は全くしないから、博打の面白さはわからない。カジノはけしからん!と言っても、既に世の中にはパチンコ、競馬、競輪、競艇という博打は堂々と存在している。新しく作っちゃ駄目、ということなのかな?
 少子高齢化で国内経済が縮小するなかで、財政上の問題が一番大きいのでは?ならば、財政上の対案なしに、「怪しからん」とだけ言うのはどうなんですかね?現実に実現可能な対案はあるのかな?不勉強で知らなくてすいません。
 どうするか?真理はある。大宇宙の真理は絶対的なものとして存在する。その真理は坐禅によるしか体得できない。