正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその六

 大量の便が出て、気分は良くなった。
 けど、それだけ。それだけでもありがたいと思うのは、正直無理だった。
 状況は変わらず、というより悪化していった。私に対する周囲の対応も辛辣さを増していった。
 「坐禅したらうんこ出ました」これでもいいのかもしれない。
 ただ、もう少し正法眼蔵を読みたかった。もう少し、坐禅や仏教を知りたかった。
 岩波文庫の「辦道話」も、はっきり言ってよくわからない。注を読んでもわからない。大体、漢文も古文もまともに勉強してないし、何より、仏教のことなど皆目わからないのだから、読めるはずがない。
 何とかならないか、またもや書店に向かった。
 目に入ったのは、大法輪閣の「澤木興道(さわきこうどう)全集」の第十八巻「正法眼蔵講話」に辦道話が含まれていること、西嶋和夫氏の「現代語訳正法眼蔵」「正法眼蔵提唱録」がずらっと並んでいた。どうやら正法眼蔵全巻を訳し、提唱しているらしい。提唱という言葉は知らなかったが、パラパラとめくってみると、どうやら正法眼蔵についての解説、講義を集まった人達に行うことで、これはその記録らしい。
 私は澤木興道全集を購入した。「坐禅のやり方」は西嶋氏であり、全巻の訳と提唱があるのに何故か。西嶋氏の経歴は東京帝国大学を卒業し大蔵省入省であったためである。帝大出て大蔵省はとんでもないエリートで、そんな人に私のような者の境遇など分かるはずがないと思ったからである。