正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその五

 坐禅のやり方だけ斜め読みして、坐禅してみたが、何も変わらなかった。1日だけで、パッと上手くいくものではなかろうが、もう少し何かあるかなという期待はあった。けど、何もなかった。
 ただ、坐禅は続けてみよう、正法眼蔵は読みたいという気持ちはあった。
 西嶋和夫氏の「坐禅のやり方」には「坐禅の体験内容」として、心理的側面①釈尊との合一②自分自身の把握③平凡な心境、生理的側面①正身端坐②間脳の調整③自律神経の正常化④全身機能の正常化、が挙げられている。
 たった1日だから当り前と言えばそれまでだが、どれ一つ全く実感しなかった。
 事業は相変わらず、絶対無理な計画についてあーたらこーたらもっともらしい議論がされ、それに対する私の憤りと私に対する敵対視し、無視も変わらず、私の精神的肉体的疲労感も変わることはなかった。
 ただ、坐禅を始めて三日目の朝だった。坐禅をしていると、突然、内臓が動いた。たじろぐ位、ぐるぐるっと動いた。猛烈な便意。慌ててトイレに駆け込んだ。大袈裟ではなく「驚愕」の量の便が出た。物凄い臭い。私は毎日便通はあったのに、こんなに腹の中にあったのかと唖然とした。これは「全身機能の正常化」なのかな?
 気分は良くなった。それは間違いない。