正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその八

 澤木興道氏の辦道話の提唱を読みながら、毎朝5分から30分(短い方が多いけど)坐禅を続けた。相変わらず頭の中には怒り、悔しさ、憎しみ、展望の無さなどが渦巻き、「いかんいかん」と坐禅に戻り、戻った瞬間再び渦に巻き込まれ、体が動いたり、叫んだりもしていた。他人が見ていたら、間違いなく「危ない人」である。
 そんな状態だったけど、坐禅していれば仏であると提唱にあったので、それを頼りに、それにすがって坐禅を続けていた。仏である自分は間違っていない筈だ!
 しかし、会社の状況は変わらない。私の状況も変わらない。坐禅しても、具体的な対策、打開策は出て来ない。ただ、一つ「自分は間違っている」という観念、思いは一切出てこなかった。
 それだけが頼りだった。