正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四

 アメリカンフットボールで一時大騒ぎになった大学の学生(選手)たちの今の心境についての記事を斜め読みした。マスコミの記事には、事実と違うことが随分書いてあったというようなことを学生たちが言っていたように記憶している。
 その正否は判断できないけど、不思議だなぁと思っていることがある。
 前回も書いたオリンピックに関すること。
 森喜朗氏はオリンピックパラリンピック組織委員会の会長とのこと。この人が総理大臣だった時のマスコミの報道を見ていると、「「馬鹿」という言葉を人間の形にすると森喜朗になる」かのように私には思えた。だけど、いくらなんでも、そんな人がオリンピックの組織委員会の会長をやれるんですかね?会長って何をする人か知らないですけど。
 世界をしっかりと身心で体得して、自分自身でしっかり生きていかないと、危ないなと思う。周りの言うことは言うこととして、受け止める必要はあるけど振り回されたら、下手すりゃ死んでしまう。怖い怖い。
 岩波文庫73ページ「しるべし、いま仏性に悉有せらるゝ有(う)は、有無の有にあらず。悉有は仏語(ぶつご)なり、仏舌(ぶつぜつ)なり。仏祖眼睛(ぶっそがんぜい)なり、衲僧鼻孔(なっそうびくう)なり。」
 大宇宙の真理によって存在している全てのもの(悉有)の「有」は、頭の中で考える「有る」とか「無い」という「有」ではないことを、よく理解しないといけない、と道元禅師はおっしゃる。
 仏性=悉有なのだから、有るとか無いとかということでは、まったくない。だから「お前には仏性がある」とか「私の教えに従えば仏性が備わる」なんてことを言う人はインチキですから気をつけましょう。
 「悉有」は人間が頭の中でひねくり出した「言葉」観念ではない。仏、釈尊の「語」である。仏祖、釈尊の「仏舌」、釈尊がおっしゃったことである。釈尊の「眼睛」、釈尊がご覧になったことである。「衲僧」とは僧侶、呼吸をしないと死んでしまうから、「鼻腔」とは生命を表すと西嶋氏は書いておられる。つまり、生命そのものを表している。
 全ての存在、生命は仏性なのだ。回りがつべこべ言うけれど、またそれはそれで事実として起こっていることとして認めた上で、その上に立って、この世の中、宇宙をよーく見ていかなければならないと思っている。