正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十六

 今の時代は「威張る」時代だなぁと思うことが多い。なんかちょっと知ってるだけなのに、やたらに威張っている人多くないですかね?たったそれだけの知識や経験で、よくそこまで言えますね?と言ってあげたい人がいっぱい。謙虚は時代に合わないのでしょうね。
 威張っていると「本当に自分は偉い」というとんでもない勘違いする人が出て来てしまう。偉いから、自分のやっていることがおかしいと感じなくなってしまう。自分の回りにも結構いるし、日産とか関西電力とかの報道を見ると(報道が正しければだが)、いくらなんでもそりゃおかしい、駄目でしょということだけど、自分でそれを止められなかった、止めようとしなかった、人間として愚かとしか言いようがない。
 一流企業の中で偉くなるには、能力も必要だし、権力闘争に打ち勝たなければならない。きれいごとばかりでは偉くはなれないだろう。その結果権力を手に入れた。全勢力を傾け、血まみれになって勝ち取ったと思う。
 私は権力を単純に否定はしない。自分の信念、理想を実現しようとするならば、そのための力(権力)が必要だ。単純なイメージとしての「権力者」ではなくても、世の中で何かを実現するには、それを裏付ける「力」が必要だから。
 ちょっと横道に逸れた。権力を手に入れたことは本人にとっては物凄いことだろうけど、大宇宙から見てどうか。ちっぽけな人間という生物が、大宇宙の中ではちっぽけな地球という星の上で、さらにその中でもちっぽけな日本という国の、一つの会社の中で、「俺は凄い」と言っているというだけのこと。
 岩波文庫59ページ「人もし仏道を修証(しゅしょう)するに、得一法(とくいっぽう)、通一法(つういっぽう)なり、遇一行(ぐういちぎょう)なり」
 人は目の前のことを、ひたすら一所懸命にやる以外に何もない。そして、そのことが大宇宙の真理そのものだ。偉いとか凄いとか関係ない。今この瞬間を一所懸命行動するだけ。威張っている暇なんかない。威張っていられるなんてのは、大宇宙の真理とは関係ないことを、世の中に見せびらかしているだけで、無邪気な、可哀想なことが分からないことを示しているだけのことなのだ。
 ある意味、幸せな、おめでたい人とは言えるけどね。でも、そういう人が増え続けたら、人類の将来は危うい。