正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その八

 運動の部活動で、指導者のパワハラとか暴力のことが報道される。
 私は、いつも、軍隊のことを思い浮かべる。私は軍隊の経験などない。ただ、軍隊の経験を書いた人の文章を読んだだけだ。
 その範囲だけの知識だが、全く同じに見える。日本の民主主義なんて、軍隊と同じ存在を認めているレベルなんだな、と思う。
 絶対的な上位者が下位の者を命令どおりに動かす。暴力、陰湿な圧力も積極的に採用する。そして、そのことに従う者達がいる。嫌な組織だ。
 こういう組織が国中に広く深く存在する。それも教育の名の下に。この国は基本的な性格は第二次大戦のときと変わってないんじゃないか、と思える。
 平和憲法とか言っても、これで大丈夫何ですかね?
 厳しくなければ勝てない!というのは、そんなことで国が守れるか!というのと、どこが違うのだろう?
 繰り返すが民主主義なんですよね?
 厳しさとか言うけど、毎日、決まった時間に起き、食事し、きちんと仕事をし、周りの人も自分も大事にし、きちんと眠る(本当はこの中に坐禅が入る)。こういう生活を何十年間も続けることの方が、よほど難しい。そして、こういう生活をする人こそ正しい人だと、私は思っている。
 岩波文庫63ページ「四枚の般若、よのつねにおこなはる、行、住、坐、臥(ぎょう、じゅう、ざ、が)なり」
 日常生活、つまり行動する、止まる(住には「とどまる、とまる」の意味もある)、すわる、寝ることが般若であるということ。
 普通の生活を普通にすることこそ尊いのだ、いや、それしかないのだ。