正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その五十三

 岩波文庫134ページ「いまこの蓋天蓋地はおぼえざることばのごとし、噴地(ふんぢ)の一声のごとし。語等なり、心等なり、法等なり」

 この天地すべては言葉では言い表せない、言葉を忘れてしまったような存在であり、自然とくしゃみが出てしまう、そのくしゃみの声のようなものである。言葉は自然と落ち着いており、心も自然と落ち着いており、森羅万象も自然と落ち着いているのである。

 ここは坐禅の境地、坐禅すると人間は本来の人間の状態になる。そのときは大宇宙と一体になっているのだから、天地を頭で考えて言葉で表現する必要はない、というかできない。あえて「声」で表現するなら意識でコントロールできないくしゃみのようなものだ。この時には、言葉も心も森羅万象も落ち着いた落ち着いた、普通の状態となっている。そのときに初めて正しい行動が可能になる。

 上に書いた意味とは違うけど、最近の政治家やマスコミやネット上の言葉は「くしゃみ」みたいで、ただうるさいだけと感じられて仕方がない。

 政治家は足元のことだけではなく5年後10年後100年後のことを考え提示してほしいと思うし、マスコミも今の揚げ足取りに見えるようなことではない視点を提示してもらいたいと思う。

 経済を回すことを重要視すればコロナの感染は増加せざるを得ないだろう。そうなったときに「医療崩壊」が起これば多数の死者を出すだろう。医療崩壊させないとしたらどうするのか?治療する人としない人を分けるのは無理だろうね。

 ならば、経済は後回しにして、感染の封じ込めに徹する。産業は大打撃だろうし、足元生活に困窮する人も大量に出るだろうし、そんなに簡単に経済は回復しない。政府が何とかすると言っても、税収が大幅に減少すれば国力は低下する。こういうことを書くと軍事費を削れという人たちが出てくるだろう。けれど、アメリカ・中国・ロシア・フランス・ドイツ・韓国など2019年度は前年度対比で増加しているという。何回も書いたけど、今の人類のレベルは軍事力なしに国というものを維持できないレベルなのだ。それは事実であって、どうこう言っても仕方がない。

 私は軍隊などない世界になってほしい。しかしそのためには物凄く長い時間が必要だろう。私はその世界の実現のためには坐禅正法眼蔵しかないと信じているが、誰もそうは思わないだろうなあ。