正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その二十三

 岩波文庫129ページ「山河大地といふは、山河はたとへば山水なり。大地は此処(ししょ)のみにあらず、山もおほかるべし、大須弥(しゅみ)小須弥あり」

  山河大地というのは、山河は例えば山であり、水である。大地は今のこの場所だけではない。山もたくさんあるだろう、大きな須弥山も小さな須弥山もある。

 須弥山(しゅみせん)というのは、昔のインドでは世界の中心に須弥山という大きな山があり、その周りに4つの大陸があって、そのうちの南側に人間が住んでいると考えられていたということらしい。

 ここのところは、山河大地という言葉で現実世界の森羅万象、あらゆる実在を表現されているのだと思う。

 現実を徹底して見ないと、行動を間違ってしまう。現実がどうなっているのかが分からずに理屈ばかり言っても何の役にも立たない。

 もちろん、すべての事実を行動する瞬間に把握するなんて無理だ。しかし、行動するにあたって最低限分かっていなければいけないことは何かは、分かってなければいけない。そして行動している中で、「おや、変だな。何か足りないな」と直感・直観できなきゃいけない。

 コロナの感染が拡がっているという。感染拡大のリスクと経済の縮小(倒産、失業、財政難→公的対策縮小、自殺の増加)のリスク。これらを徹底した事実確認とそれに基づいた施策で、どうバランスさせて行くか?両方のリスクをどちらも同じように抑制しようなんてむしが良すぎると思うけど。

 何だか、片方だけ取り上げて騒いでいるように見える。何が最大のリスクなのかマスコミの報道を見てもさっぱりわからない。

 私は坐禅して、行動していきます。それが大宇宙の真理にかなうものだと信じているので。