正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その二十四

 岩波文庫129ページ「横(おう)に処せるあり、竪(しゅ)に処せるあり。三千世界あり、無量国あり」

 (山河大地、須弥山など)横にずっと連なっている処もあるし、高くそびえ立っている処もある。この世界は無数の世界が複雑に絡み合って存在しているし、数えきれない国々がある。

 水野氏は脚注で「横」を時間、「竪」を空間と書いておられる。私は専門的に勉強していないので、分からないけど、上のように普通に読んでもいいんじゃないかと思っている。

 私のわずかな人生経験の中でも、本当に色んな世界があると、しみじみ思う。そして、実際に生きて行動するときには、しみじみばかりしている訳にはいかない。思いもよらない展開(相手にとっては当たり前のことなんだろうけど)に必死に対応しなければいけない。「なんだあいつらは!」と怒ったってしょうがない。そういう人たち、そういう世界もあると考えるしかない。

 世界には様々な国々がある。色んな地域で紛争がある。テロもある。その国々、人々にとっての正義がある。その「正義」は別の国にとっては「悪」なのだろう。

 大宇宙には様々なものが無数にある。しかし、その根底には大宇宙の真理がある。大宇宙の真理を体感・体得しない限り、本質的には何も解決しない。

 無数の存在を体感・体得し、大宇宙の真理を体感・体得する。これは坐禅によってしか得られない。

 アメリカがトランプによって分断されたとか言うけど、根底に相反する人たちがいて、それがトランプという大統領の出現で表面に出てきただけなんじゃないかと思う。頭の中の「理性」なんかでこの分断は解決することはないと私は思う。まあ、対立と融和、対立と融和を繰り返して行くうちに、最終的には大宇宙の真理でおさまるとは思うけど、長い長い時間がかかるだろう。

 中国は無数の存在を認めず、一つの思想に集約したいみたいに見える。そのために権力を行使している。例えば香港とか。でも、これは大宇宙の有り様に反している。不自然。どのくらい継続できるだろうか。

 いずれにしても、大宇宙の真理で決着する。それだけは間違いない。

 バイデンもトランプも習近平坐禅してくれないかなあ。無理だよね。

 私は坐禅して何とか生きていこうと思います。