正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その十四

 摩訶般若波羅蜜の巻は、般若心経の解説をしていると言ってよいと思う。
 最初の頃に書いたが、「この世のものは実在しない。人間が「ある」と思っているだけだ」という考え方は、私には全く受け入れられない。「色即是空」をそう解釈した途端に、私には絵空事を唱えて生きていられる幸せな人の言葉に聞こえてしまう。
 現実に生きている人間にとって、「突き詰めれば存在しない」た説いたところで、何かが解決するのだろうか?
 西嶋氏の「仏教は実在論である」は私にとって、生きる上で意味がある。学問の世界や仏教界でどうかには興味はない。私が生きる上で意味があるかだけが問題なのだ。
 現在、仏教は日本や世界の問題を解決する力があるのだろうか?
 あまり踏み込むと面倒になるのでやめる。
 私は正法眼蔵を読み、坐禅をしてきて、人間は身心が本来の状態、バランスした状態であれば、おかしなことはできない、と確信している。
 人を殺すなんて、そもそもできないことだ。
 最近、あおり運転の厳罰化とか、薬物規制の罰則強化の議論があるようだ。私は法律というのは、世の中色んな人がいるので、一般的な線引きをするために必要なものだと思っている。普通の人をはやらないようなことをしてしまう人がいるので、司法という力で規制しているのではないのかな?
 厳罰化という話を聞くと、人間が劣化してきているのだなと思う。
 世界中で起こっていることも人間の劣化と見えて仕方がない。
 ぎりぎり規制して締め付けなければ、まともなことができないのであれば、どこまで行っても規制し続けるしかないだろう。お先真っ暗じゃないの?
 坐禅が広まるしかないと思うけど、駄目だろうなあ。