正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 一顆明珠その十四

 岩波文庫185、186ページ「古仏為汝説(こぶついにょせつ)するには異類中行(いるいちゅうぎょう)なり。しばらく廻光返照(ういこうへんしょう)すべし、幾箇枚(きこまい)の用会作麼(ようういそも)かある。試道(しどう)するには、乳餅(しゅうひん)七枚、菜餅(さいひん)五枚なりといへども、湘之南(しょうなんのみなみ)、潭之北(たんのきた)の教行(きょうぎょう)なり。

 大宇宙の真理と一体となった仏と言われた方々がその教えを説く時には、独立独歩で世界の中に向かっていくのである。とりあえず自分自身を静かに光で照らすように顧みてみるとよい。いくつもの「理解してどうするのか。理解したからと言ってそれがなにか」ということがあるだろう。試しに言ってみれば、牛乳から作った餅7枚、菜っ葉から作った餅5枚というごくありふれた日常のものであるけれど、それこそが湘水という河の南、潭水という河の北(どちらも同じ場所を指している)にあるという黄金の国のように素晴らしい場所における教えであり、修行なのである。

 異類中行について私は、「自分は自分としてこの世界の中で生きていかねばならない」というようなことだと思っている。現実世界の中でどうやって生きていくか。瞬間瞬間行動して行かなければならない。自分が生きていくのだ。

 廻光返照は好きな言葉だ。自分に立ち還れ、本来大宇宙と同じ存在、真実である自分というものに立ち還れということだと思っている。これは頭の中で考えたところで立ち還れるものではない。坐禅するしかない。というか坐禅すればその瞬間「廻光返照」となる。

 色々理屈は言うことが出来る。頭の中で考えをいじくり回すことはできる。しかし、それですべてうまくいくという訳にはいかない。むしろ、理屈や頭の中の考えに囚われ引きずり回されてしまっていることの方が多いと思っている。今の世の中、そんなことばかりじゃないだろうか。

 そうではなく、目の前の現実、日常生活そこにこそ、いやそこにのみ真実はある。「湘之南、潭之北」と言ってみても、それは今この場所でしかない。ここにこそ黄金の国=真実があるのだ。

 米英豪でオークスとかいう連合を組むそうな。対中国の戦略とのこと。中国はTPP参加を表明したり、台湾も表明したり。フランスが潜水艦の契約をオーストラリアが反故にしたと怒っているらしい。

 必死に権益を守るために戦っている。あの手この手で戦っている。人類の今のレベルでは戦うしか無かろうと思う。どの国も自分たちが正しいと思っているし、権益は何としても守りたい。戦うしかないだろう。

 しかし、究極的に人間は何のために生きているのか。私は坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動することのみが人間の生きるということだと思っている。

 世界平和のため、戦争をなくすため、平等な世界を作るため、いずれも重要なことだ。しかし、それらを実現するためには、言葉や頭の中の考えだけでは不可能だ。行動するにしても言葉や頭の中の考えに振り回され、結局おかしなことをしてしまうことがほとんどのように見える。

 重要な目標を達成するためには、坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動するしかない。

 坐禅しましょう。