正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 一顆明珠その十三

 岩波文庫185ページ「僧曰、尽十方世界是一顆明珠、用会作麼(ようういそも)。いふべし騎賊馬逐賊(きぞくばちくぞく。賊馬(ぞくば)に騎(のっ)て賊(ぞく)を逐(お)ふ)なり。」

 僧が言った「大宇宙は輝く一つの珠です。理解してどうしようというのですか」。この言葉は、盗賊が乗ってきた馬に乗って盗賊を追いかけるような力量のあるものと言える。

 言葉、知識偏重の世の中だ。言葉で言い繕うことで物事が解決するかのように思っているのではないかとさえ思える。

 問題は目の前の現実だ。目の前の事実に対しどうするかだ。

 今は目の前の事実さえ見えなくなっているんじゃなかろうか。

 言葉で散々言い立て、陰に陽に圧力をかける。事実を言葉で変えようとすることが目に付く。

 言葉でどうこうではない。今現実のこの瞬間に何をするかだ。今この瞬間の現実がちゃんとわかっているかだ。

 テレビ番組でコメンテーターだかの人がある政党を批判したら、その番組が打ち切り危機だそうだ。

 その政党が過去にやったことが重要なのであって、綱領に書いて有るとか無いとかは本質じゃなかろうと思うけど。書いてないけど本当はそう思っているという方が怖いんじゃないのかな。

 いずれにしろ政党という形を取れば何らかの言葉に縛られる。これは仕方なかろう。けれど言葉に振り回されない、最後には事実に基づいて大宇宙の真理に基づいて行動できないといけない。そう思っている。

 正気に戻りましょう。テレビが公平中立で正確な情報を伝えていると信じている人がいるとしたら、その人は相当危ない。正気に戻してあげないといけない。戻らないだろうけど。

 坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動する。これしか人類を救う方法はないと信じている。