正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 一顆明珠その十二

 岩波文庫185ページ「「玄沙来日問其、尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会」。これは道取す、昨日説定法(さくじつせつじょうほう)なる、今日二枚をかりて出気(すいき)す。今日不定法(こんにちせつふじょほう)なり、推倒昨日点頭笑(すいとうさくじつてんとうしょう)なり。」

 玄沙師備禅師は次の日その僧に質問して言う「尽十方世界是一顆明珠、汝作麼生会」この世界全体は光り輝く一つの珠だ、どのように理解したか。これは言っているのである、昨日は定法を言い、今日は唇の間から不定法を言う。そして昨日言ったことをひっくり返して笑いながら頷いているのだ。 

 今この瞬間にどう行動するかしかない。今この瞬間の現実にどう対処するか。生きるとはその繰り返しだと思っている。だから、この瞬間この瞬間に、「これは定法だ」「これは不定法だ」などと言っている暇はない。どう理解するもくそもない。この瞬間に行動するのみである。

 大宇宙は輝く珠のように素晴らしい。それが現実であり、事実だ。定法だ不定法だと頭の中の観念でいじくって何の意味があるのか。

 情報が溢れている。自民党の総裁選の情報が随分と多いようだ。しかし何だか重さを感じない。アイドルの人気投票みたいだ。

 現実に根差した雄大な世界観が感じられない。ほんとはあるんだろうか?

 野党も惨憺たるありさまだ。世界観の見えなさは自民党を凌駕している。票を集めるための政策協定なんて、あまりにも近視眼的で将来に期待を生むものとは到底思えない。

 何度も書くが、人間は大宇宙そのものなのだ。本来大宇宙と同じ大きさを持った雄大で偉大なものなのだ。それが何故このような体たらくになるのか。

 ちっぽけな脳味噌の中に浮かぶ妄想を真実と思い込んでいるからだ。

 坐禅して本来の姿を取り戻してほしいけど、無理だろうなあ。