正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その三十

 岩波文庫130ページ「日月星辰(にちがつしょうしん)は人天(にんでん)の所見不同あるべし、諸類の所見おなじからず」

 太陽や月、星も人間界と天上界では見方は異なるだろう、様々な存在ごとに見方は異なるだろう。

 諸類を人間・天上・餓鬼・畜生など仏教用語で説明もできるのだろうが、私は「この世には色々な存在がある、人間にしたって色んな国、人種、宗教などなど様々」と理解していいんじゃないか、と思っている。

 この頃のコロナをはじめとして世間を騒がしているものを見ていると、「諸類の所見おなじからず」ということを思う。何だか狭い自分の立場だけでぎゃーぎゃー騒いでいるように見えて仕方がない。

 「諸類の所見おなじからず」という現実・事実の中で、どう行動するかしかないと思うけど、単純に「こうしなければならない」というのが、本当に現実の問題を解決するのだろうか。何だか幼稚な意見を吐き散らかしているだけみたいに見える。

 何とかという大臣が「神のみぞ知る」と言って、野党が批判してる。まあ、大臣が敢えて言う必要はなかったように思うけど、一人の人間の人生だって「神のみぞ知る」なんじゃないの。そんな言葉を取り上げて血相変えてないで、コロナ対策の核心を冷静に議論してほしいもんだと思う。

 念のため付け加えておくと、私は「神」というものは信じない、存在するとも思わない。自分の人生は自分で生きるしかなくて、「神」がどうこうなんて考えている暇はない。

 私が信じるものは、坐禅であり、坐禅した結果一体となることができる大宇宙の真理だ。敢えて、「神」という言葉を使うなら「大宇宙の真理」が「神」かもしれない。しかし大宇宙の真理は「神」というような言語で表せるような単純なものではないと考えている。