正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その二十九

 岩波文庫130ページ「万般(ばんぱん)なりといふとも、地(ぢ)なかるべからず、空(くう)を地(ぢ)とせる世界もあるべきなり」
 様々な有り様はあるけれども、大地というものが無いということではない、また(例えば空を飛んでいる鳥のように)空が大地としているような世界もあるだろう。
 「地」というものを取り上げても、心地とか宝地とか、いろんな地が無数にあり得る、考えられる。立場によって「地」というものが全く異なるものであったりする。しかし「地」というものは存在する。ここでの「地なかるべからず」というのは、私は「すべては大宇宙の一部、大宇宙そのもの」ということだと思っている。
 世の中には色んな立場・思想の人がいて、自分と異なる立場・思想の人を全く別世界の人間のように扱ったりするけど、大宇宙の中ではごくごく微細な話、というよりおんなじものなのに、そんなことでいがみ合ったり、対立したり、下らないことだと思う。だけど、当事者にとっては、人生や命に関わる問題だと思ってるんだろうね。
 コロナ感染拡大だって立場によって捉え方は全く異なるだろう。飲食店や観光業の人にとっては人の動きを止められたら廃業だろうし、失業者もたくさん出るだろう。国が補助しろといっても国庫にも限界はある。飲食店が縮小すると農業、漁業も大ダメージを負う。農業や漁業のように生命を扱う産業は回復に時間がかかると思う。
 一方で医療機関の負荷が過大になると、コロナ感染者だけでなく、他の命に関わる病気の人も治療を受けられなくなる。
 政治家は国家レベル、世界レベルでこの問題を捌いてもらいたいとは思う。
 しかし一方で、一人一人が感染拡大しないように行動するしかないと思っている。GOTOがけしからんといっても、観光業にとっては必要だったろうし、感染拡大に気を付けずに出かけた人もいるだろう。本質的にはどこが問題なんだろう?
 私は、国が何を言おうがやろうが、自分の行動は坐禅して、自分で決める。坐禅が基準だ。
 国がやっているからって、ほいほいそれに乗っかるのも、いかがなものかと思う。国の施策を全部否定はしないし、それなりに頑張ってるんじゃないかと思う。国も旅行には行って欲しいと考えたのだろうが、旅先で感染対策しない人たちの面倒までは見れないだろう。だけど、国がやることが正しいかどうか?それは坐禅しないとわからない。