正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百四十

 岩波文庫112、113ページ「南泉云、「莫便是長老見処麼」。黄檗日、「不敢」。南泉云、「漿水銭且致、草鞋銭教什麼人還」。黄檗便休」
 前回書き忘れたけど、南泉普願禅師は馬祖道一禅師の法を嗣いだ人、黄檗希運禅師は馬祖道一禅師の法を嗣いだ百丈懐海禅師の弟子。だから、馬祖道一禅師を基準にすると南泉禅師は子、黄檗禅師は孫となる。南泉禅師が先輩という位置関係。
 南泉禅師が言った「今のあなたの返答はあなた自身の考えなのかどうか」
 黄檗禅師は「どういたしまして」と答えた。(水野氏の脚注によると「不敢」は挨拶語とのこと)
 南泉禅師が言うには「携帯用の水の代金は取り敢えず置いておくが、草鞋の代金は誰かに還してもらわないといけない」
 黄檗禅師は黙っていた。
 よく、難解で訳の分からないやり取りを「禅問答」という。仏教は難しく、悟りを得るのは容易ではない、その証拠として、こういう禅問答が分からなければならない、ということが言われる。
 でも、それでは、仏教は現代で人を救えない。難解だなどとあぐらをかいていては駄目だ。
 この後、道元禅師が解説をされる。だから、内容については次回以降にしたい。
 草鞋銭という言葉が出てくるが、当時の僧は草鞋を履いて行脚した。それは真の師匠、仏を探すためだ。草鞋を脱いでしばらくそこで教えを聞いて「あ、これは駄目だ」と思えば、また行脚に出る。真理、真実を求め続けていく。草鞋を履き潰して。
 今は、宗派とか寺に縛られてしまっているのではないかな?
 世の中全体が窮屈ではないだろうかとも感じる。短い人生、真実・真理を実現できるところを探し求める自由さが、もっとあっていいのではないかと思う。
 固定した、窮屈な世界は腐敗や差別を生むように思われてならない。