正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその十一

 何となく感覚、感じが変わってきた。
 それから3か月くらい経った頃だったろうか、朝いつものように坐禅していたときだった。ふっと「自分は正しい。しかし今状況を変えることはできない」と思い浮かんだ、のではないな、何と言えばいいのだろう、思うとか自分の意思や思考とは全く無関係に、敢えて言えば「感じた」というのかな、とにかく言葉では表現できないが、そうなったのだ。
 嬉しいとか、「そうだ!納得した」というような感情は全くなかった。ただ、これも言葉では表現できないけど、そういう光景が目の前にある、という感じ。「直感」という方が近いかな。とにかく、言葉では上手く表せない。なお、「直感」について正法眼蔵の中で出会うのは、まだ先のこととなる。
 ただ、これが坐禅していた効果?結果?なのかは分からない。会社に出向して1年にもなるのだから、坐禅しなくても同じことになったかもしれない。あるいは、このブログを読んでいただいている人の中には、「最初から分かっていること」と思う方もいると思う。
 しかし、私は坐禅を続けていて上記のようになった、という事実しかない。これは事実であって、それ以上でもそれ以下でもない。
 その後の私のことは次回書きたいと思う。