正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その三十一

 岩波文庫79、80ページ「第十二祖馬鳴尊者(めみょうそんじゃ)、十三祖のために仏性海(ぶっしょうかい)をとくにいはく「山河大地皆依建立(せんがだいちかいえこんりゅう)、三昧六通由茲発現(さんまいろくづうゆうじほつげん)」しかあれば、この山河大地、みな仏性海なり。「皆依建立」といふは、建立せる正当恁麼時、これ山河大地なり。」
 釈尊の後継者十二代の馬鳴尊者が後継者の十三祖(迦毘摩羅)に仏性の世界を説いておっしゃった。「この山も川も大地もすべて仏性によって成り立っている。坐禅によって得た境地(三昧)も六神通と言われるものも仏性によって現れる」そういうことであるから、この山も川も大地も皆仏性である。「皆依建立」というのは、仏性が現れたまさにその時が山であり、川であり、大地である。
 今、地球温暖化だとかSDGsだとか声高に言われている。大事なことだと思う。だけど、私には、どうしても「人間中心、人間ありき」に感じられて仕方がない。これまで、人間は好き勝手にやって来たから、反省しましょう、ということなんだろうが、結局、人間レベルの発想。
 全宇宙の存在は、仏性であり、悉有であり、衆生(すべての生命)なのだ。人間の発想、態度がそこに至れば、そもそも、おかしなことにはならないはずだと思う。
 人類は、今様々な地域で、様々な国で、様々な生活をしている。この千差万別の人類が、そう簡単に一つの考え方でまとまるとは思えない。
 根底に仏性=悉有=衆生、そしてここにある山も川も大地も仏性であるという実感があり、この瞬間瞬間をどう生きていくのかという考え方が必要だと思う。
 強い言葉で、恐い表情で演説したり、飛行機には乗らないで船に乗るのは、別に悪いことではないから、やってもいいけど、この複雑怪奇、魑魅魍魎の跋扈する世界が、それで上手くいくとは思えない。
 坐禅して、大宇宙の真理を心身で受け止め、その心身でもって現実をよくよく見て、現実の世界でどのように行動するか、ここが肝心だと思うけどね。
 まあ、いろんな人たちが色々やっているのだろう。私は不勉強でよく知らない(ごめんなさい)。ただ、それらの活動が国益の競争、企業間の利権の抗争レベルにならないことを祈りたい。(新しい動きがあると、それで儲けようという輩がうようよ出てくるのは、自然現象なので、しょうがない。儲けること自体が悪いとは言わない。支持され、対価を払っていいと認められなければ儲けられないからね。その根底に何があるのかが問題。)