正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その三十二

 岩波文庫80ページ「すでに「皆依建立」といふ、しるべし、仏性海のかたちはかくのごとし。さらに内外中間(ないげちゅうげん)にかゝはるべきにあらず。」
 仏性によってすべてが建立されている、すべてのものは仏性である。仏性海はどんな形かと言えば、すべての存在である。仏性の中にすべての存在(山や川や大地など)があるのではない。仏性の外にあるのではない。仏性=すべての存在なのだから、仏性とすべての存在を内外中間とか分けられるはずのないものだ。
 大宇宙すべての存在は仏性なのだ。これは大切なことだ。
 人類は、このちっぽけな地球の上で、「自分は自分は!」とくんずほぐれつ、ごちゃごちゃやっている。
 アメリカは自国に不利益をもたらすと考える他国の人間を爆殺する。他の国も、情報統制し、政権に不利益だと思えば拘束したり、処刑したりしている。ある意味、無邪気に、そして残酷に血みどろの世界を展開している。
 仏性とはかけ離れてますな。でも、現状ではそうしないと「国」は守れない、国益を守れないのだろうと思う。けれど、いつまで、そんなことしてるんだろう?
行き着くところまでいかないと変わらないような気もする。だけど、下手をすると、そのときは手遅になっていないだろうか?
 仏教、坐禅は世界を救えると思うけど、今の様子では駄目だろうなぁ。
 西嶋氏は、人類には破滅する自由もそうならない自由もある、という趣旨のことを書かれている。私もそう思う。願わくば、後者とならんことを祈りたい。
 そのためには、一人一人が毎日の生活、瞬間瞬間をきちんと生きていくしかないと考えている。そのためには坐禅が必要だ。