正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百三十ニ

 岩波文庫「且問你(しゃもんにい、ちょっとおたずねしよう)、大潙、百丈しばらくきくべし。謗(ほう)はすなはちなきにあらず、仏性は説得(せって)すやいまだしや」
 ここで、ちょっとおたずねしたい。大潙、百丈に聞きたい。有仏性と言っても、無仏性と言っても、どちらにせよ、仏法僧という仏教の三宝を謗る、誹謗するということは当然ある。では、二人は肝心の仏性を説明できているのか、いないのか。
 道元禅師は、著名な方、祖師、名僧と言われる方に対しても、きっちりと問いを発しておられる。仏教・仏道について曖昧なことは許されない。
 ここでも、有るとか無いではなく、仏性を理解しているか、という本質を問うておられる。
 偉い人たちに「あなた、ほんとにわかってます?」とは中々言えない。しかし、本当に理解しているか首を傾げたくなる人、けっこういますよね?
 トップは孤独、裸の王様とよく言われる。ても、それは問題が発生して失脚した後のこと。その前に言わないと、従業員やその家族、取引先に損害を与えることが避けられない。
 組織の中にいると、言うことは難しい。私は以前書いたように、言ってしまう方だけど、組織の中で評価されたとは言い難い。自分としては、言わないという選択肢はなかったから、まあこういうもんだと思っている。そして、組織は時間が経って、私の言ったことが現実のものになると、平然と「こうなるのは分かっていた」「何でこんなことをしたんだ」とか言っちゃうんだよね。いやはや。でも、これが現実です。
 心配なのは、人類はどこへ行くのかさっぱりわからない中、各国の利益ばかり主張しているように見えて仕方ないこと。
 坐禅しませんかねえ。