正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その二百十二
岩波文庫123ページ「師いはく、「莫妄想(ももうぞう)」。この宗旨(そうし)は、作麼生(そもさん)なるべきぞ」
長沙禅師は言った「妄想するな」この意味はどういうことか、ここが大事なところだ。
この後、道元禅師は「妄想するな」「妄想」とは何かを解説していかれる。
しかしまあ、私は「妄想」が満ち溢れているような気がしてならない。もちろん、地道にこつこつ一生懸命に生きている人はたくさんいると思う。
けれど、妄想としか思えないことを堂々と言って、全く平気な人もたくさんいると感じる。妄想でも、でかい態度で、でかい声で言うと通用しちゃったりする。特に、地位がある人なんかそうだ。
妄想と思わないのだから、その人にとっては「真実」だ。ここが困ったところ、厄介なところだ。周りに迷惑かけるし、その人自身も哀れな結末になる。
世界の指導者も「妄想」してないといいんですけどね。なんか危ない感じがする。
坐禅して廻光返照して本来の面目に立ち戻ってもらえないかなあ。無理かなあ。でもそうじゃないと、不安だなあ。