正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その五十九

 岩波文庫135ページ「これら閑家(かんか)の破具(はぐ)にあらず、学道の積功累徳(しゃっくるいとく)なり。ふ跳して玲瓏八面(れいろうはちめん)なり、脱落(とつらく)して如藤倚樹(にゅとういじゅ)なり」

 「ふ跳」の「ふ」は漢字が見つかりませんでした。興味のある方は岩波文庫をご覧ください。

 この百丈禅師の言葉の意味するところは、坐禅した肉体はぼろ家の壊れた家具ではなく、坐禅をした瞬間に徳が積み重なった状態になり、俗世間の価値観から飛び出して澄んだ美しい世界の中にいる状態であり、俗世間の価値観から抜け出して藤が樹木に絡みついているようなごく自然な状態である、ということである。

 最近の状況は、つまらない思惑、俗世間の価値観でぐにゃぐにゃ混乱しているように見えてならない。ごく普通の「自然な状態」ではないと感じる。

 コロナ感染拡大と騒いでいるけど、事実を客観的に提示・分析して、どのような目標に向かって、どのようなアクションプログラムで行こうとしているのか、全然分からない。政治家は与党も野党も知事もしっかりしろよと思う。まあ、頑張っているのかもしれないけど。

 マスコミも、だから何なんだ?ということをしたり顔に伝えているだけに感じる。

 「普通」のことができないのかな?「普通」では目立たないから満足しないのかな?

 真実人体=普通なのになあ、と思っている。私は坐禅して普通に生きていきます。