正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その六十

岩波文庫135ページ「或現此身得度而為説法なり、或現他身得度而為説法なり、或不現此身得度而為説法なり、或不現他身得度而為説法なり、乃至不為説法なり」

 場合によってはこの身体を現して救う為に説法し、場合によってはこの身体以外を現して救う為に説法し、場合によってはこの身体を現さずに救う為に説法し、場合によってはこの身体以外を現さずに救う為に説法し、或いは説法しないのである。

 ここは妙法蓮華経観世音菩薩普門品(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)、法華経の中のいわゆる観音経から引用した句を道元禅師が色々と展開をされ、身体と救う為の説法の関係を説明されているのだと思っている。

 現実世界は様々な多種多様な要素が複雑に絡み合っていて、かつ瞬間瞬間変化している。その中で如何に行動していくか、単純に一つの方法で対処なんか出来っこない。ある場合には有効であっても、状況が変われば役に立たなかったり、逆効果だったりもする。一つの立場で一つのことしか言わないのは、「信念」とかいって誉めたりするけど、根底に持つことは良いが、現実への対処は「信念」のごり押しでは無理だと思う。

 コロナ感染拡大についても、様々な要素があるだろうし、様々な立場の人たちがいるだろう。一つのことだけ取り上げて大騒ぎしても意味はなかろうと思う。

 ではどうするか。大宇宙の真理は絶対であり、坐禅によって大宇宙の真理と一体となれば、普通に淡々と対処できると信じている。