正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その六十七

 岩波文庫136ページ「恁麼の道理、すなはち尽十方界真実人体なり。自然天然の邪見をならふべからず。界量にあらざれば広狭にあらず」
 (前回までの)このような道理であるから、すなわちこの大宇宙全体すべてがこの現実の人体と全く同じ、人体そのものなのである。自分を取り巻く環境がどうであれ、自分は自分の思うところを行う、大宇宙と自分は別だというような間違った考え方を習ってはいけない。尽十方界真実人体というのは、この世界あの世界というように宇宙全体を色々区分するような考え方ではないから、広いとか狭いとかいう基準で考えるものではない。
 個人の自由は絶対に保証されなければいけない。思想・信条・宗教など自由でなければいけない。性別や民族で差別されてはいけない。当たり前だ。ただ、私はこれは理屈ではないと思っている。尽十方界真実人体なのだから、自由であり差別などあり得ないというのが大宇宙の事実なのだ。
 それなのに理屈でなんとかしようとするから法律を作って強制するとか、ネット上でリンチするみたいなことが起こるのだと思っている。今の人類のレベルでは仕方ないのだろう。坐禅しないと、これはわからない。
 コロナにしても、感染の可能性を低くする方法は示されているのに、それに従わない低レベルの個人主義というか「自分は自分で平気、自由だ」と思って行動している、思ってもいないのかな、行動してしまう人たちがいる。大宇宙と人間は同じものなのだから、人間の行動が歪めば宇宙も歪んでしまう。本人がどうなるか、宇宙がどうなるかは人間の行動が決める。
 だから坐禅して大宇宙と一体となって大宇宙の真理に従って行動しなければならない。
 地球温暖化、脱炭素とか騒いでいるけど(重要だとは思いますが)人間が普通に行動していれば、そもそもこんな事態にはならなかったと思っている。人間ってどのように生きるべきなのか?それは坐禅しなければわからない。私はそう信じている。