正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その六十六

 岩波文庫136ページ「又、一塵に十方を諦観すべし、十方は一塵に嚢括(のうかつ)するにあらず。あるいは一塵に僧堂・仏殿を建立(こんりゅう)し、あるいは僧堂・仏殿に尽界を建立せり。これより建立せり、建立これよりなれり」

 また、一つの塵(ちり)のようなごく小さい物質の中に宇宙全体があるのだとはっきり理解しなければいけない。宇宙全体は1つの塵の中に包み込まれるものではない。(そんなに単純に観念的に割り切れるものではない)。ごく小さな物質の中に僧堂や仏殿を作り上げる(大宇宙の真理を展開する)、あるいは僧堂・仏殿によって大宇宙を実現する。ごく小さな物質から大宇宙が展開され、大宇宙が展開されるのは現実の物質によるのである。

 僧堂・仏殿を建立するというのは、坐禅しての行動ではないかと思う。

 人間は大宇宙の中で生きている。人間も含めすべてのものが大宇宙そのものだ。その中で坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動していく。その行動が尊いものだから、僧堂・仏殿を建立すると表現されたのではないだろうか。

 尊いと言っても、別に神秘的なこととか特殊な能力のことではない。ごく当たり前の普通のことだ。

 コロナが感染拡大して自宅療養中に亡くなる方が出てきているという。お気の毒でならない。

 コロナ感染拡大➡️医療機関限界➡️自宅療養➡️治療不十分➡️亡くなる。こんなことは普通に考えれば、すぐにわかること。政治の危機管理ってあらゆるリスクシナリオを検討して、対策を考えておくもんじゃないの?今さら「対応が不十分でお気の毒」なんてコメントしている。お気楽だねぇ。本心では一定数このようになると分かっていて、体裁だけ整えているのかな?

 普通のことを普通にやって欲しいなあと思う。

 坐禅しましょう。