正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その六十八

 岩波文庫136ページ「尽十方界は八万四千の説法蘊(せっぽううん)なり、八万四千の三昧なり、八万四千の陀羅尼(だらに)なり。八万四千の説法蘊、これ転法輪なるがゆゑに、法輪の転処は亙界(かんかい)なり、亙時(かんじ)なり。方域なきにあらず、「真実人体」なり」
 大宇宙は無限の真実を語る言葉の塊であり、無限の坐禅の境地の塊であり、無限の能力を持ったものである。無限の真実を語る言葉の塊は、釈尊が色々な形で説法をされていることと
同じものであるから、この説法による真実の拡がりは大宇宙すべてに行き渡り、永遠の時間を貫いたものである。ただ、そうは言っても、我々が生きているのはこの場所、この時間なのであるから、限定された場所・時間というのがないということではない。これらを含めて真実人体、人体は大宇宙そのものというのである。
 今人類は科学の発展、様々な思想の誕生により逆に人間の行動は大宇宙の真理からどんどん遠ざかっているように思う。観念論に振り回され、自分は正しいと無邪気に思い込み、そうかと思えば足元で起こったことであたふた右往左往している。科学や思想を大宇宙の真理の中で活かすという状況ではないと思っている。
 オリンピックをやるとかやらないとか、もっともらしい顔して言い争っているけど、あんまり賢くないとしか思えない。「こういう条件が整ったらやります。整わなければやめます」しかないように思うけど。まあ、様々な思惑、利権が渦巻いていて、そう単純にはいかないんだろうね。
 大宇宙は時間も含めすべてのものから成り立っている。人間も大宇宙の一部であり、大宇宙そのものだ。しかし、利得や見栄や世間の評判やらでそのことを見失っている。
 自分は大宇宙そのものであり、大宇宙の真理に従って生きていける、そういう状態になるためには、坐禅するしかない。
 蛇足で付け加えると、陀羅尼というのは能力、大宇宙にはありとあらゆることが起きる、それが大宇宙の能力=陀羅尼だと思っている。時々、陀羅尼を神秘的な呪文と言って商売にしている人たちがいるので注意しましょう。