正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その六十三

 岩波文庫135、136ページ「「尽十方世界」といふは、十方面ともに尽界なり。東西南北四維上下(しゆいじょうげ)を十方といふ。かの表裏縦横の究尽(ぐうじん)なる時節を思量すべし」

 「尽十方世界」というのはどういうことかというと、十の方面がすべてことごとく大宇宙であるということである。東西南北の四方面、東と西の間ように東西南北の間を四維というがこの四方面、それに上下の二方面を加えて十方という。この十方の表、裏、縦、横を究尽(きわめつくす)というときのことを考えなくてはいけない。

 仏教は大宇宙の真理を体得することを説いている。そのため、ここで「尽十方界」という言葉で大宇宙を解説しておられる。

 「究尽なる時節」とは、坐禅をしている時のことだと思っている。

 あらゆる存在は大宇宙の中に存在している(当たり前だ)。しかし、そのことを身心でもって実感するということは、あまりないのじゃないだろうか。

 政治家も、マスコミも、あらゆる人々が、このことを実感してほしいと思う。大宇宙の真理を体感してほしい。コロナは確かに深刻な問題だ。しかしだからこそ、何か起こるたびに右往左往するのではなく、「尽十方界」大宇宙の中の問題として、捉えるべきじゃないかと思う。

 坐禅せずに、頭の中で、あーでもないこーでもないとやっていると、大体ろくなことにはならない。私は、そう信じている。坐禅しましょう。