正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その五十七

 岩波文庫134ページ「このゆゑに真実人体といふ。後学(こうがく)かならず自然見(じねんけん)の外道(げどう)に同ずることなかれ」
 前回にあるように、この現実の身体を使って仏教・仏道を学ぶ。十悪を行わず、八つの戒律を保ち、俗世間に囚われずに行動、学道するとき、大宇宙の真理と一体となった真実の、普通の身体、人体となる。こういう状態を真実人体というのだ。これから仏教・仏道を学ぼうとする人たちは、自らの欲望や感覚で生きていればいいのだ、それが正しいのだというような仏教ではない考え方(自然見の外道)を信じてはいけない。
 自然見の外道。コロナに感染しやすい状況は分かっているのに、そういう状況の所に行ってしまう、自ら作ってしまう。これは自然見の外道そのものではないかと思う。念のために書いておくけど、「外道」というのは侮蔑の言葉ではなく「仏教以外の思想」ということ。
 何回か書いたけど、今の状況が未来永劫続く訳ないのだから、今はやらないというごく単純なことをしてしまうというのは、欲望とか習慣に従ってしまっていて、真実、普通の状態ではなくなってしまっていると感じられる。それでいいじゃないかと思っているんだろうね。
 利得から離れなければならない。また、真実を体得することの障害となる習慣からも離れなければならない。この習慣から離れるというのは、中々難しい。私も未だ苦労しているところがある。
 今はやらない方が良いことをやってしまった結果が今の感染拡大なのではないのかな。
 政府も問題があったのだろうけど、感染しやすい状況を自粛できない国民ってどうなんですかね?まあ、そんなこと書いていて私自身が感染してしまうかもしれないけど。
 それでもって、緊急事態宣言とか特措法改正とかが、政争の道具・パフォーマンスになっているように見える。政治家もレベルが低いなあと思う。
 私は坐禅しながら、普通に自分がやるべきことをやっていきます。