正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その三
岩波文庫127ページ「仏道を学せざれば、すなはち外道(げどう)・闡提(せんだい)の道(どう)に堕在す。このゆゑに、前仏後仏かならず仏道を修行するなり」
仏道を学ばなければ、そのまますぐに仏教以外の教えに迷いこみ、真実から遠い世界に堕ちてしまう。そのため釈尊もその後の祖師方も必ず仏道を学んだのである。
闡提について、水野氏は「成仏できない」とされ、西嶋氏は「目先の利害に囚われる」とされている。私は専門的に学んでいないので、どうなのかよく分からない。ただ「成仏というと、「成仏できない=極楽に行けない」みたいな臭いがつくような気がして使いたくないと思ってしまう。本来は仏に成れないということなんだろうけど。
仏道・仏教は身心で学ぶ。「普通の身心」で学ぶということだと思っている。
部員が大麻吸ったとかで大学の野球部が活動停止するそうな。
大麻は違法だ、体を蝕むというのは事実だ。けれど、仏道・仏教から言えば、「普通の身心」の状態でなくなることで、仏道・仏教を学べない状態になる、仏道から堕ちてしまうということだと思う。普通の状態でなくなることが、駄目なのだ。法律とか健康が第一の理由ではない。少なくとも私にとっては。
法律で縛りつけるというのは幼稚だと思う。幼稚な人間しかいないのなら仕方ないけど。でも、そんな国は遅かれ早かれ駄目になるしかないんじゃないかな。
薬物もそうだし、酒もそうだと思う。普通じゃなくなる。
と言いながら、私は酒は飲みます。昔からすれば極く少なくなったし、飲まない日もある。随分酒の上では失敗しました。
坐禅にすがっているうちに、もう少しましな人間になれるんじゃないかなんて思っている。甘いですかね。うーん・・・