正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 即心是仏その二

 岩波文庫140ページ「いはゆる即心の話(わ)をき々て、癡人(ちにん)おもはくは、衆生の慮知念覚の未発菩提心(みほつぼだいしん)なるを、すなはち仏とすとおもへり。これはかつて正師(しょうし)にあはざるによりてなり」

 「即心(是仏)」ときいて、仏道・仏教をよく分かっていない人が考えることは「まだ菩提心つまり真実を知りたいという気持ちを起こしていない意識の状態であってもそれを(そのような状態の心を)仏だとおもう」ということである。これは、正しい師について仏道・仏教を学んでいないからである。

 要は、何もしなくても心=仏だと考えてはいけない。即心是仏はそういう意味ではないということ。大宇宙の真理を知りたいという気持ちを起こし坐禅したときの心が仏なのである。

 人間の存在は尊い。それはみなそう言うだろう。しかし、地球上で起こっていることを見ると、本当にそう思っているのだろうかという思いが起こることを禁じ得ない。

 大宇宙の真理を体得したいと願う心が仏なのであり、そのために坐禅することが仏なのだ。人間の、いやすべての生命は尊重されなければいけない。しかし、だから「自分の生命は尊重されるべきだ。自分の好きなことをする自由がある」とか言って好き放題何をやってもいいということにはならない。菩提心を起こし坐禅した瞬間に仏になれるが、そうでない「心」は仏ではない。

 人間には欲望がある。欲望がなければ、人類は滅亡してしまう。問題は欲望を大宇宙の真理に従ってコントロールすることだ。それは、坐禅した身心でなければできない、私はそう信じている。無邪気な欲望の肯定は危険だし、一方で欲望の否定も危険だ。坐禅すれば、普通に日常生活を送っていける。

 オリンピックもどんどん訳の分からないことでもめて行っているように見える。大体オリンピックって何のためにやるんですかね?その目的に適った人が、それなりのポストについているんですかね。何をいまさら森さんは不適切だとか言ってるのかなと思ってしまう。なんだかオリンピック自体変なものに思えてくる。まあ、なんでもドロドロしたものは背景にあるんだろうけど。

 脱炭素も重要な問題なのだろう。だけど、その裏では色々な勢力の暗闘があるでしょうね。

 大宇宙の真理に行き着かない限り、人類の未来は厳しいと思う。その方向には行っている気はするんだけど、私が生きている間は無理だろうなあ。でも坐禅しましょう。