正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百六十二

 岩波文庫117ページ「このゆゑに、半物全物(はんもつぜんもつ)、これ不依倚(ふえい)なり。百千物、不依倚なり、百千時、不依倚なり」
 そのようなことであるから、物の半分だろうが全部だろうが、何かに依存せず、自立・自律している(不依倚)のだ。数限りない物も不依倚であり、いついかなるときも不依倚なのである。
 不依倚については以前書いた。
 この後、道元禅師は、一見、大転換とも取れる、矛盾しているとも取れることをお書きになっている。それは次回にするとして、不依倚について、また少しばかり書く。
 コロナで政府は色々言っている。何が核心なのか、私にはよくわからないけど、手洗い・消毒、マスク、密を避けるしか今はやりようがないんじゃないか。
 政府が何を言おうと、自分で判断するしかない。大体、政治が常に正しいことをするなんて、あり得ない妄想はしない方がいいのではないのかな?
 それを怪しからんと言っても、政府・政治の言う通りにしないと、下手すりゃ殺されたり、そこまでいかなくても拘束されたり、迫害されたりする国より、日本はましなんじゃないだろうか?
 自分の行動の基準は自分の中にあり、外側にはない。組織の評価・社会の評価に振り回されちゃいけない。
 一方で独り善がりも駄目だ。政府の言うことなんて全然無視という態度もお馬鹿さん。
 自分の内側にある基準は大宇宙の真理であって、それは坐禅しながら、正法眼蔵読んで体得するしかない。