正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百七十七
岩波文庫「たとひ双放双収(そうほうそうしゅう)すとも、なほこれ業識の始終なり」
無であると放り出しても、有ると収めても、どちらにせよ、これまでの経験からの概念・観念だけのことである。
世の中は絶対の事実。犬は犬なので、仏性が有るとか無いとかといくら言ってみたところで、意味はない。
世の中に溢れている情報、色んな人たちの意見。これらは、本当に事実に基づいているのだろうか?
何だか虚しい気分になるときがある。事実に基づかない主義主張なんて、勘弁してほしい。
概念・観念だけで主張するなんて信じられないが、往々にして起こっていると思う。世界レベルでも、国レベルでも、会社レベルでも。けど、主張している人たちは正しいと信じて疑わない。それが業識から生まれているのに。
アメリカと中国、コロナなどなど、現実を本当に事実のレベルでとらまえて、大宇宙の真理に従って、進んで行ってほしい。
でも、トランプも習近平も坐禅はしないだろうなあ。じゃ、駄目だろうなあ。ひどいことが起こらなきゃいいけど。