正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百九十八
岩波文庫121ページ「いはんや、雲居高祖(うんごこうそ)いはく、「たとひ仏法辺事を学得(がくて)する、はやくこれ錯用心了也(さくようじんりょうや)」」
言うまでもないことだが、雲居道膺(うんごどうよう)禅師のおっしゃるように「たとえ仏法の周辺・一部を学んだといっても、これは単に頭の中で学んだと誤ってしまっているのだ」
結局、仏性は概念・観念ではない、頭で考えてこうだと言えるものではない、ということだと思う。
現実の中で、瞬間瞬間一生懸命行動していること、現実をしっかり体全体で受け止めることが重要だということだと思う。
日本は、世界は、どこに向かおうとしているのだろう。本当に現実に起こっていることって何なんだろう?
レジ袋を有料にするって、本当に問題の核心に関わることなのだろうか?単に象徴として取り上げられているだけという気もする。
海亀の鼻の穴にストローが一杯詰まっている映像が一時ずいぶんメディアに流れたけど、世界中の海亀が鼻にストロー突っ込んで泳いでいるわけじゃないだろうと思ってしまう。
さんざん好き勝手に地球を荒廃させてきて、レジ袋やストローみたいなものを取り上げるのが、本当に重要なのだろうか。これを機に儲けようという人がいるんじゃないかと勘ぐってしまう。
核心ではなく辺事に踊らされるのは嫌だなと思う。
坐禅します。