正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その六

 岩波文庫128ページ「又、感応道交(かんのうどうこう)して、菩提心をおこしてのち、仏祖の大道(だいどう)に帰依(きえ)し、発菩提心(ほつぼだいしん)の行李(あんり)を習学するなり」
 また、大宇宙と一体となって(坐禅して)、大宇宙の真理、真実を知りたいという心をおこして、釈尊以来の祖師方の真実の道・大道にしたがい、大宇宙の真理を知りたい、真実を知りたいという心をもって現実の日常生活・瞬間瞬間の行動を学んでいくのである。
 私が重要だと思う言葉について書いてみたい。
 感応道交。大宇宙と一体となってということだと思っている。それは難しいことではなくて、坐禅すればいい。坐禅していると「ああ、自分は大道宇宙の中にいるなあ。大宇宙の一部だなあ」と感じることがある。毎回ではないけど、そう感じることが多い。その感じ、感覚は坐禅によって心身がバランスしないと現れないと思っている。もちろん坐禅しても嫌な感じがするときもある。それは今はそういうときなのだと考えることにしている。実際そうなんだから仕方がない。無理くりバランスさせようなんて意図すれば、坐禅から遠ざかると思っている。
 この後、菩提心、発菩提心、行李について書こうと思うけど、長くなるので取り敢えずここまでにしておきます。