正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 即心是仏その五

 岩波文庫141ページ「そのなかに、しばらく妄法(もうぼう)の空花(くうげ)ありといへども、一念相応の智慧あらはれぬれば、物も亡(もう)じ、境も滅しぬれば、霊知本性(ほんじょう)ひとり了々として鎮常なり」
 (霊知があまねく行き渡っている)そのなかに、時に間違った幻の花のようなものが現れたとしても、ちょっとしたそれなりの智慧が出てくれば、様々な存在も消え、環境も関係なくなり、霊知そのもののみがひとり明々白々として永遠に存在しているのだ。
 物はいつか必ず損壊する。人間の肉体は死を迎える。環境は常に変化する。しかし、霊知・霊魂は滅びることなく、永遠に存在する。
 このような考え方は外道つまり仏教の考え方ではない。
 これは重要なところだ。一般には、魂、霊魂を仏教が扱っているようなイメージがあると思う。
 魂が救われるとか言うけど、魂が救われるってなんのことか私にはわからない。救われるというのは、今この瞬間の現実に大宇宙の真理に即して行動できることでしかないと思っている。
 訳のわからない霊知だとか霊魂なんか考える時間があるなら坐禅してね。