正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 即心是仏その十七

 岩波文庫147ページ「「是(ぜ)」三界(さんがい)あり、退出にあらず、唯心にあらず」

 この現実の世界は、欲界、色界、無色界という3つの世界から成り立っている。そこから抜け出すこともないし、ただ精神的・抽象的なものというものでもない。

 ときどきこの世界は素晴らしい、とか、この世は醜いとか色々言うけど、現実がそんな単純に表現できる訳がない、いいところもあれば、悪いところもある、また人間の行動次第で世の中何とでもなってしまう。

 人間はその中で生きていくのだからそこから抜け出すなんてことはあり得ないし、実際日常生活を瞬間瞬間生きていくときに、精神論だけだけでは成り立たない。

 これも当たり前のこと、普通のことだ。だけど現実の世界では「当たり前のこと」ができてないように見える。総務省が接待を受けたとかいうけど、そのときにこれはいかんと思わないのですかねえ。野党も、精神論・観念論で声を張り上げているけど、それはそれで「正しさに酔っている」ように見える。正しさを押し付けて、それに従わない人間を攻撃する様子が私には目に浮かんで仕方がない。

 普通にならなければいけない。そのためには、坐禅しかない。