正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その九十六

 岩波文庫99、100ページ「いま天上人間(てんじょうじんかん)、大千法界(だいせんほうかい)に流布(るふ)せる仏法を見聞せる前後の皮袋(ひたい)、たれか道取(どうしゅ)せる「身現相は仏性なり」と。大千界にはたゞ提婆尊者のみ道取せるなり。余者(よしゃ)はたゞ、仏性は眼見耳聞心識等にあらずとのみ道取するなり。身現は仏性なりとしらざるゆゑに道取せざるなり」
 天上界、人間界、大宇宙丸ごと全てに行き渡っている仏法を見たり聞いたりした過去や現在の人々(皮袋、道元禅師は人間のことを皮袋とか臭皮袋(しゅうひたい)と表現されることが多い)の中で、誰が「現実の身体を現すことが仏性である」と言ったであろうか。この大宇宙の中では提婆尊者だけがおっしっゃったのである。それ以外の人々は、仏性は目では見えない、耳では聞けない、心で知ることができないと言っているだけである。この現実の体を現すことが仏性なのだと知らないから、そう言えないのだ。
 仏教は大宇宙の真理を説いているから、仮に天上界というようなものがあったとしても、そこにも行き渡っているし、人間の世界(人間(じんかん))にも、大宇宙全てに行き渡っていることになる。そして仏性とは現実の、この体であり、現実の存在全てのことだ。
 仏教は現実を相手にしているから、仏性が目には見えないだとか、訳の分からない超常現象のようなものとはしない。けれど、仏教をそういうものとして、人をたぶらかして、金儲けしようとする輩が後を絶たない。
 騙されちゃいけません。仏教は現実そのものなのだ。
普通のことを普通にするだけなのだ。
 コロナにしたって、対策が遅いのだの、救えた命があるだの、批判がある。批判はそれなりに意味があると思うし、批判をよく検証して今後に活かしてもらいたいとは思う。
 しかし、現実をよく踏まえないといけないと思う。対策を打つにしても、人的資源、物的資源、資金は有限なのだ。何をどういう順番で資源を割り振るか、それができなければ総崩れだと思う。
 以前も書いたが、だから一定数の犠牲は不可避だ。犠牲皆無みたいな、空理空論はやめてほしい。
 詳しくは知らないが、スウェーデンは一定の対策は実施するが、国民の六割だか七割だかに自然免疫が備わるのを待つという政策だという。そのため、致死率は高めだそうだ。何故、スウェーデンはこの政策を取り得たのかは知らない。けれど、ワクチン無し、治療薬無しの中で、一つの合理的方法だろう。
 いずれにしても、一人一人が、事実、現実を捉えて、毎日瞬間瞬間をどう行動するかしか、解決法はない。
 パチンコやめなさいと言ったって行っちゃう人たちがいるのも事実で、それがこの国の現実だ。その結果は現実のものとして、現れる。
 全て現実が答えだ。答えが出てから、つべこべ言っても遅い。
 坐禅して、しみじみそういうことを分かってもらいたいとは思うんだけどね。