正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 即心是仏その二十七

 岩波文庫148ページ「椅子払子心(いすほっすしん)は椅子払子のみなり。さらに竹なし、木なし。かくのごとくなるゆゑに、即心是仏、不染汚(ふぜんわ)即心是仏なり。諸仏、不染汚諸仏なり」

 椅子や払子(木の棒の先に白い毛がついたもの)は椅子払子である。竹でできているとか、木でできているとか関係ない。このようなことであるから、即心是仏ということに余計なものはいらない。ただ純粋な現実・事実があるだけ。諸仏は、ただあるがままに諸仏なのだ。

 コロナの感染者が減らないと騒いでいる。けれど、外出する人は増えている。飲食店も人が戻ってきている。なら、感染者は減らないんじゃないの?このまま減らないとどうなるのか、私にはよく分からない。オリンピックやるんだから緊急事態宣言なんかいつまでもやってられない、多少の犠牲は払ってでもオリンピックやるんだ、というならそう言えばいいんじゃないの?

 ワクチン接種もまだまだ行き渡らない、特効薬もない。なら増えるでしょう。違うのかな。

 肝心なことを政治家もメディアも言わない。そう感じる。自分の身は自分で守るしかない。

 坐禅して大宇宙の真理に従って行動します。だからコロナに感染しないなんて保証はない。でも、つまらない情報で右往左往はしない。現実・事実は目の前にある。それだけだ。