正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その九

 岩波文庫152ページ「菩提をすなはち菩提と見解(けんげ)せん、これ菩提相応の知見なるべし。たれかこれを邪見といはんと想憶す、これすなはち無縄自縛(むじょうじばく)なり」

 自分の頭の中で真実・真理(菩提)を真実・真理だと理解する、信じるのは、普通のことだ。誰がこのことを邪見だというなどと考えるだろうか。このような状態は、縄が無いのに自分自身を縛り付け身動きできないようにしているのだ。

 頭の中の考えに凝り固まり、現実に対し有効な適切なことができなくなるというのは、よくあることだ。「自分は正しい」と無邪気に信じている人ってたくさんいると思う。自分で自分のことを正しいと信じていることは本人は得意満面かもしれないが、本当は無縄自縛で正しいことができなくなってしまっていることが多いと思う。

 コロナで緊急事態宣言をまた出すそうな。本当に緊急事態宣言って有効なのかな?「緊急事態宣言を出す」という観念に縛られてしまって、本質的な事実が分かっていないんじゃないかと不安になる。ま、分かっていらっしゃるんでしょうけど。

 坐禅して大宇宙の真理と一体となって、ちっぽけな脳味噌から開放されないと駄目だと思うんですがねえ。