正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 一顆明珠その二十一

 前回で一顆明珠の巻は終わり。

 大宇宙、目の前のこの現実の世界は明るく輝く珠なのだ。大宇宙の一部である我々も従って明るく輝く珠なのだ。本来の姿は明るく輝く珠なのだ。

 しかし、利得、欲望、思惑など頭の中の考えに憑りつかれ、本来の姿を見失い、真実・真理からどんどん遠ざかり、誤った言動をとってしまう。自ら珠を汚してしまう。

 現在は情報が溢れている。ネット上で多種多様な情報が大量に手に入る。これは素晴らしいことだ。この情報を制限している国もあるようだが、そのようなことをしないと維持できない国家というのは異常だろう。

 けれども情報がたくさんあるということと、真実・真理に基づいて生きるというのはまったく別のことだ。知識がたくさんあるからといって正しいことができる訳ではない。世の中で起こっていることを見ると、むしろ知識に囚われ、振り回されてとんでもないことをしでかしている人間は一杯いる。

 情報や知識を使いこなせなければ、むしろそれらは害悪になってしまうおそれがある。

 北朝鮮のミサイルだの、中国の軍事力の誇示(台湾を威嚇してますね)だの、日大の背任だの、拉致被害者は生きていないと口走る国会議員だの、知識や情報を持っているから質が悪い。知識や情報が害悪となってしまっている。

 大宇宙の真理、真実にもとづいて生きること、これが人間の唯一の根源的な生きる目的、生きる意味だ。ここがしっかりしていなければ何もできない。

 そのためには坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動する、澤木興道氏の言う「宇宙とぶっ続きになる」ことが必要だ。その瞬間我々は明るく輝く珠、一顆明珠になる。

 坐禅しましょう。