正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百四十三

 岩波文庫113ページ「黄檗いはく、「十二時中不依倚一物(ふえいいちもつ)」といふ宗旨(そうし)は、十二時中たとひ十二時中に処在せりとも、不依倚なり。不依倚一物、これ十二時中なるがゆゑに仏性明見なり」
 黄檗禅師の言う「十二時中不依倚一物」の意味は、十二時中(当時の時間の単位では二十四時間、一日中)という時間の概念を置くならばその中に存在しているということになるけれども、常に自分の外側の諸々のことに左右されない、依存しないということである。何ものにも依存せず、自分の内側の基準(大宇宙の真理)によって常に行動しているから、仏性がはっきりと現れるのである。
 私は周囲がどう言おうと、自分の内側の基準によって生きようと思っている。私の経験から、そうしないと苦しくて堪らない。内側の基準で生きておかしなことをしないためには、坐禅するしかない。
 夫婦でお金配って国会議員になって、逮捕されちゃったという。国会議員という肩書き、地位に振り回されておかしなことをしてしまったというふうに思える。
 国会議員を目指すのは悪いことじゃないんだろう。志を実現しようと思えば国会議員という「力」は必要だろう。
 だけど、それならば「志」を訴えて支持してもらって選挙に通ればいい。なりふり構わずというのは、ただ地位が欲しかっただけに見える。
 自分の内側の基準に沿って生きて間違わなければ、それでいいのに。瞬間瞬間の行動がすべてだ。あの夫婦について逮捕後、どっと証言者が出てきたのは、瞬間瞬間の行動に問題があったんだろうね。日頃の積み重ね、心がけがよろしくなかったんではないかな。
 お金を貰った方も、断ったりすれば、夫婦が国会議員という「力」を手に入れたとき、意地悪されると思ったのかもね。
 日本には、こういう風土が根強く残っていると感じる。一方で悪いことは明るみに出て、それなりの制裁を下すというシステムも、そこそこ機能しているとも思う。
 十二時中不依倚一物で生きていきます。