正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百九十四

 岩波文庫121ページ「知而(ちに)のゆゑに故犯(こぼん)あるべきなり」
 知っているからこそ、敢えて言葉で表現しようとするということでなければならない。
 言葉で表現しようとするのは、大宇宙の真理であり、大宇宙の真理は言葉では言い表せない何かではあるけれど目の前の現実である。
 目の前の現実は、美しくもあり、醜悪でもある。ある人にとっては心地よくても、別の人にとっては耐え難い苦痛の世界だったりする。
 しかし、今現在がどういう状況であろうとも、人によって、立場によって、国によってその評価が異なろうと、結局は大宇宙の真理に帰着すると信じている。
 人間、思い込むと中々そこから抜け出せないから、相当すったもんだするだろうけど。戦争とか核兵器使用とかに至らないだけの智恵はあると信じたいけど。
 ~イズムという言葉がある。主義・主張ということらしい。このイズムに取り付かれると人間何をしでかすかわからないと思っている。
 以前、作家のなだいなだ氏が書いていた言葉を覚えている。当時はアルコール依存症アルコール中毒と言っていて、英語ではAlcoholismというのだそうだ。世の中には色々な主義・主張つまりイズムがある。これを~主義ではなく~中毒と言ってみてはどうかということだった。主義・主張に取り付かれた状態は確かに「中毒」がふさわしい気がする。大袈裟な主義・主張でなくても、周囲に「中毒」と言うしかないような人いませんか?