正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その三十三

 岩波文庫130ページ「向来(きょうらい)はたゞこれ心(しん)の一念二念なり。一念二念は一山河大地なり、二山河大地なり」

 過去は心が瞬間瞬間にとらえたものの積み重ねである。その瞬間瞬間にとらえたものを具体的に言えば山であり河であり大地という現実の世界である。

 よく「過去を引きずる」という。私も過去を振り返って胸が潰れる思いがすることがある。しかし、それは事実であり、現実であり、どうこうしようがない。やれるのは今この瞬間を生きることだけだ。

 時々、過去の罪業を解消する術とか言う変な人がいるが、過去が消える訳ない。過去を反省するなら今をどう生きるかしかない。

  しかし、世の中・過去に縛られていることばかりと感じる。世界で発生している紛争など過去の遺恨ばかりに見える。いきなり、それを棄てるなんてできないだろう。

 人間が頭の中で考える「正義」なんて、かえって危険なものなのにねぇ。

 根本的には坐禅が普及するしかないけど、うーん・・・